おゆきの日々

 今どきこれって贅沢かもしれない?そんな何気な~生活の日々、そして常識と非常識の逆転もあり?の日々






折々の日誌 >キハダ(黄柏)の価値


2016.6.15

・母の愛
先日小舎に泊まられた、鹿角市の隣の大館市に住む仲間から聞いた話である。
彼女のその頃東京に住んでいた大学生の息子さんが、アトピー症状が酷く悪化して「カポジ水痘様発疹症」という舌を噛みそうな症状を発症した。それは大変苦しく辛い症状のようで、そばで見ているだけでも可愛そうなほど、アトピーの
究極に出る症状のようでこれも案外多くあるのだとか。
たまたま彼女が用事で上京した折に始まったことだったのを幸いに、帰りの予定を変更してつきっきりで必死の看病に当たられた。

彼としたら、子供の頃は
自然志向のお母さんのちゃんとした食事を食べていたが、東京住まいの1人身となってからはちょっとタガがはずれてしまったようだ。結構食べたい物を好きに食べるようになっていたらしく、その甲斐あってか?お決まりのコースをたどってしまった。
丁度苦しみ初めの頃お母さんが上京されたのは本当にラッキーだった。

1人でいる時彼は病院で一応診察を受け薬を貰っていた。それを母親は一切使わず、彼女なりに色々調べた
結果これは、と思える療法と出会ったらしい。
それは「キハダ」の粉とごま油を練って軟膏状にした物を塗るというもの。彼女はせっせと軟膏を
作り毎日根気よく塗ってあげた。その功あって時間はかかったようだが無事治まり、帰宅されたそうだ。
母親の愛とはこんなにも凄い物なのか、と改めて彼女を尊敬してしまった話である。

・薬草3種の神器
母親の愛
にも打たれたが、この話を聞いてこの春
訪ねた信州の仲間の所で話題になったのが「キハダ」であったことを思い出した。キハダの木を覚えたいと思って帰ってきた私だったので、ここでまさかキハダの名が出ようとは、あゝやっぱりキハダってすごいんだ、と彼女の話に身を乗り出してしまった。
キハダと言えば草木染で鮮やかな黄色に染まるということと、あとは苦い苦い薬で、とにかく身体にはよく効くものらしいということだけは漠然とは知っていた。

何年か前、大雨により向かいの川が大増水し、流れが橋の上を越えてしまった。天候が落ち着いた数日後、流れのきわに上流から根こそぎ流されてきた多くの樹木が重なり合い積み上げられた状態になっていた箇所があった。その中に流される途中の傷で皮がむけた木肌が、鮮やかな黄色の樹木を見つけすぐキハダだと判った。そこでまあその皮だけは採っておこうと作業にとりかかったが、思いの外の大木で濡れた中側はぬるぬるしており、むいていく内に乾燥していくと今度は剥がれにくくなって、皮むき作業に丸々1日もかかってしまった、というそんなこともあった。

その後の今春、信州の仲間の所でのキーワードがキハダであった。
私たちにとって薬効ある身近な植物は沢山あるけれど、そんな数ある中でも普通の私達が覚えておけばよいと思われる薬草の代表的なものは、キハダヨモギヤナギ、だそうだ。
ヤナギは全く考えたこともなかったので少々驚いたが、
キハダヨモギヤナギのこの3っつさえ覚えておけば充分との話の中で、特に「キハダ」がいかに大切な木であるか色々と話をお聞きしてくることになったのだ。

・キハダ礼賛
その時そう言えば、と私は子供の頃を思い出した。
我が家のすぐ近所に当時問屋町の中には珍しい古い木造の住宅があった。その辺りに石の門のある所から珍しかったが、門から玄関へと続く道も鬱蒼とした野草や木々に覆われていた。
門には「黄膏」(きいこう)という消えそうな字の看板がかかっていた。何のことか判らなかったが、母に聞くと昔の薬屋さんよ、とのこと。結構昔からの愛用者がいて評判もよく、遠くからも求めてくる方たちがあったようだ。はまぐりの貝殻にくすんだ黄色の軟膏が入った物だ。
蛇足ながらその「
きいこう」の家の大通りを挟んだ向かい側にはせき、のど、かぜに龍角散、のコマーシャルでみなさんよくご存知の龍角散本舗本社があった所である。
世の中が目まぐるしく変わり、街も変わりいつの間にかその家がなくなり、通りは大きなビル群になってしまった。

ずっと遠い記憶ですっかり忘れていたことだったが、キハダの話を聞いてあれはキハダの色だったのか、と合点がいき仲間にその話をしてみた。すると彼の開いている森の薬塾の熟生の中でやはり
「黄膏」(きいこう)というのが近くにあったという話をする人がいたっけ、とビックリしたように話してくれた。 私もビックリ、きっとその方は私の故郷のご近所さんだったのかも!

懐かしい話だったが、そのキハダは昔から殆どの和漢薬によく使われているそうだ。
奈良県吉野天川村・洞川温泉へいくと旅館街に「陀羅尼助」(だらにすけ)と書かれた薬の看板がズラリと並ぶ。
「役行者」がその製法を教え伝えたと言われ、古来より食欲不振・消化不良・食べ過ぎ飲み過ぎ、はきけ、むかつきなどには副作用の心配のない自然の生薬として親しまれ、全国で愛用されてきたものだとか。
昔富山の薬売りが家々を廻っていた頃にもその様な物が多かったようだ。
その中心には
大体黄檗(おうばく)(黄柏とも)=キハダが使われていた。この他様々な漢方薬に配合されてきた需要が多い木だが、ところがそれほど重要な木であるキハダが、現在国内で激減しているという。

大館の仲間にキハダの話題のついでに、その木をもっと増やそうという活動を始められている信州の仲間の話をしたところ、彼女は身をもってキハダの薬効を体験されたので、その話に興味をもたれたようだった。
彼女からその後届いた手紙には、「山の田んぼの跡があいているので、何か木を植えようと主人が話していて、いつかキハダを植えてみたいです」とあった。
キハダは小舎の周辺にもあったので、大館市でも充分育つ樹木だと思う。このような形ででもキハダの価値が広がっていけばとても嬉しいことだ。  (写真は庭の露草)





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