おゆきの日々

 秋田・八幡平の山懐で: 

折々の日誌 お盆も過ぎて、そして「ゲストハウス」


2017.8.18

 8月も半ばを過ぎ
、あっという間に小舎の開所42周年パーティー、お盆も過ぎてしまった。
昨年の今頃は、近年になく暑いのに
実に爽やかで、珍しい程の素晴らしい夏を過ごしていた。
それなのに今年の夏はなんと寒いこと、しかも梅雨のような雨続き、こんな夏もまた近年珍しい。

 6~7月の梅雨時に殆ど雨が降らず暑い日が続いた。そして梅雨開け宣言もないまま8月を迎えたので
雨が後半にづれ込んで寒くならないといいけれど、と案じていたらそう思った通りになってしまった。
それでも日本海側はまだいい方で、太平洋側は冷たい風の「やませ」が吹き、その影響で震えるような寒さの日々のようだ。東北を縦に東と西に分断する奥羽山脈が、夏の気候をはっきりと分けてしまう。

 宮沢賢治のアメニモマケズの詩にある「
日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き」のように、この夏はまさにこの寒さで、昔なら今頃みんなおろおろしていたに違いない。
昔から東北の太平洋側では夏の「やませ」は恐れられていた。
今でこそ電気や交通、文明の利器の発達のお陰で身売りの話なんてきくことはなくなっているけれど、
作物がとれず飢饉が続き、妻や娘たちは売られ、とこんな話は遠野物語の中にはいっぱいある。

 畑の方もトマトなど青いまんま、日照不足の寒さで盛りの季節にちっとも赤くなってくれない。
関西方面は関東~東北の寒い夏とは打って変わり暑い日が続いているとか、思うようにはなかなか行かない日本列島ではある。

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❤ 開所42周年、
みんなでピザのトッピング


 さて開所記念日~お盆と今年はお客様が少なかった。
それでも例年と少し何かが違ってきている。
これまで宿泊される方たちの多くは常連の方たちで、年齢は上がる一方だったのだけれど、この夏は新しい方たちが現れ始め、その年齢が若返ってきているのだ。
不思議に思いどのようにしてここを知って貰ったか伺うと、全ての方が「ゲストハウス」の検索からだった。

「ユースホステル」や「とほ宿」も知らない方ばかりで、その事に私たちは返って驚いてしまった。
時代が変化しているのである。

 夕食の準備が年齢と共に少々負担に感じられるようになっていた頃、その夕食がなしという「ゲストハウス」や「B&B]の出現に心引かれた。
外国を旅される若者が増え、夕食なしの宿の形態である「ゲストハウス」に慣れてきた人達が、帰国後日本を旅するに当たっても気楽なその形を求め、すんなりと受け入れられていったようだ。
当舎も「とほ宿」や「フリーの宿」から抜け、しばらくしていた頃でもある。

 日本的な感情では旅館や一般的に民宿と言われていた宿に夕食が付くのは当時当たり前であり、そこから夕食をなしにする、と決めることはちょっとした勇気が要った。
しかしこれからの時代にも即しているのではないかと2人でよくよく話し合った末、「民宿」と言われていた宿のくくりを「ゲストハウス」として再出発させることにし、それから4年ほどたったところだった。
ただし都会や賑やかな観光地と違い、周囲に食べる所も選べない山の中なので、簡単な夕食セットなら用意させて貰おうと当舎なりのやり方を考えた。けれど「ゲストハウス」としての知名度は思うようにはすぐには出なかった。
それがここ2~3年で「ユースホステル」や「民宿」、「旅館」などからも「ゲストハウス」を名乗る所が続出し、国内でも一気に続々と増え始めてきた。
今年に入って全国の「ゲストハウス」に関する本が急に多く出版されるようになってきた。
当舎にも数件の出版社からアンケートの依頼が届き2冊ほど掲載されることになり、それらがこの7月から一斉に発売され始めた。

※「日本てくてくゲストハウスめぐり」ーダイヤモンド・ビッグ社(地球の歩き方編集部)
※「全国ゲストハウスガイド」ー(株)風来堂

INでもこの1年で「ゲストハウス」のサイトが驚くほど増えてきて、そこで調べると小舎もヒットするらしい。 その宿泊者の中心は当然若者たちが多い。

 当舎としても、これまでの常連さんたちが丁度年齢的にも減り始めていた時で時代の変わり目、過渡期だったのか、又新たな宿の形の到来を予感していた時でもあり、そこにうまく合致したようでこれが「時がきた」ということかもしれない。
ただ生まれてまだ歴史も浅いので、一口に「ゲストハウス」と言っても施設、環境、料金とそれこそ捉えどころなくバラバラでもあり、はっきりと決まった形はまだないと言ってよい。
それぞれの個性を生かしながら、今後徐々にその特徴もまとまって落ち着いていくのかもしれない。

 最近の若者たちは旅をしなくなった、とさんざん当舎のような宿主からは聞かされてきたけれど、もしかしたらこれはある一面から見ただけなのかもしれないと思えた。げんに「ゲストハウス」という所では若者でいっぱいの宿が多い。
最近の「ゲストハウス」に沢山泊まったことがあるという方に、そこに集う若者たちの様子をそれとなく聞いてみると、ホンと私たちが昔ユースやとほ民宿でやっていた事と殆ど変らない、というか全く同じだなあ、と感じてしまった程そっくり。若者たちは昔「ユースホステル」が始まったばかりの時と同様に、更にその中で営まれた日々と殆ど変わりないと思えるような状況を、今の「ゲストハウス」に求めているように私には感じられた。

 「ユースホステル」、「とほ宿」、「民宿」、「ゲストハウス」と名前は変わっても、長いことこの世界に係わってきた者からすると、実は中身はさほど変わっていないように思えた。当然その中では時代に即応した諸々の変化は個々に起こっていた事だろう。そうした時そんな時代に一番相応しい呼び方が現れ、新たな世代の人々がそこにまた集まっていくのではないだろうか。
それが今は「ゲストハウス」なのだと思うと、今後もどのように世の中が変ろうと、若者たちが旅をやめることはないだろうと思った。それはどんな時代になっても人と人との出会いほど素晴らしいものはないと思えるから。

 当舎は夕食、朝食の終った後でもそのままズルズルとお客様と本当によくお喋りをする。誰かの出発の時間が来なければそのままずっと喋りかねない程である。
私たち宿主も小舎開所以来お客様と一緒に食卓を囲ませて貰うというスタイルを、ずっと通してきたのでその場は自然に打ち溶け、様々な話題で盛り上がるし、個人的な話にまで発展することも多い。
年齢を重ねた者の側として意見を言わせて貰えることもあれば、反対に若い意見で教えられる事も沢山あって、互いに時間を忘れていい時間を過ごしている。
私たちと思いっきり話をするだけで帰られる方もあり、それはそれでとてもありがたいことだ。

 ここは山の中の1軒屋で、周囲には自然しかないような場所、これまで通りせめて思い切り話し合える空間を小さなこの宿の大切な部分として、宿を続ける限り守っていきたいと思っている。

 8月は何となく気ぜわしく、日記の方も滞りがちであったけれど、半ばを過ぎてやっと書くことが出来た。43周年目に入り気を引き締め直し、「ゲストハウス」の新たな展開を楽しく迎えたいと思う。

 
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