おゆきの日々

  今どきこれって贅沢かもしれない?そんな何気な~い生活の日々そして常識と非常識の逆転もあり?の日々

折々の日誌  被災地を見て

         
2011.4.14

  気がつけばすっかり陽が伸びてきたこの頃です。
先日10日、岩手県川井の悦っちゃん宅へ絵本とぬいぐるみ人形を持って行って来ました。
大災害を受けた同じ宮古市ですが、内陸の早池峰山麓なので幸いにして被害は受けていませんでした。
山麓周辺には都会から移り住んだ家族の女性達が、これまでもミニ冊子発行や絵本の読み聞かせなど様々な活動をしています。
そこで流されて何も無くなってしまった幼稚園や保育園に、絵本やぬいぐるみ人形を贈ろうということになったようです。
せっかく行くなら置いてくるだけではなく、絵本の読み聞かせもしてくる計画を立て、ついては絵本や人形があったらうちに送って、と私にも声をかけられました。
何回かに分けてお仲間達と数箇所回って行くそうです。
ホンの少しでも役に立てるのは嬉しいし、悦っちゃん達にも会いたいし、と協力がてら直接持って行ってしまいました。

 到着してまもなく夫妻の案内で被災地の現場、宮古~山田町辺り迄行って見ることになりました。
悦っちゃん宅から宮古市までは車で1時間ほどです。
このところテレビで見慣れてしまっていた筈の光景なのに、実際にこの目で見る衝撃は信じられない位、想像を絶する自然の破壊力の凄まじさを見せつけられました。

それでも彼らに言わせると震災後1週間目の最初に見た時からすると大分片付いていたそうで、その時はまだあらゆる物が瓦礫と化していたそうです。建物の屋根に船が乗り、車が乗り、道路も関係なく瓦礫の山で車の往来もままならず、ごちゃ混ぜの中で 粉塵が舞い上がるその大混乱の異様な光景に立ち尽くし、ただただ涙があふれ出すばかりだったそうです。

今回は道路は車が楽に通れる位まで片付けられ雨の後のせいか空気も澄み、その復興の速さにもビックリしたと言われました。
確かに予想よりかなり整然とした感はあり刻々と変化はしているようでもありましたが、それにしてもこの破壊の規模、復興にはこの先いったい何年かかるのでしょうか?
今回行った所より更に南部の方が最大被災地ですが、被災された方達の今後を思うと強くあって欲しいとお祈りするばかりです。



















  この度のような災害はこれが序の口、この先も次々と続いて起こるだろうとも言われています。そして大きな余震は続き、このところ地震も南下傾向にあるように報じられています。

今回の大震災(天災、人災)は余りにも広範囲であることと、まだ全ての不安が収束していないだけに日本人皆が同時にその苦しみを体験しています。
この状況の中から今、多くの 人々が本当に大切で必要な物は何かに気づき始めてきたように思います。
これはとても素晴らしいことです。

ある学校給食でご飯のおかずに魚の佃煮だけという計画停電メニューを出したら、食べられない人もいるのだから平気、という子供達もいて、(泣かせるなぁ) もっと文句をいわれるかと思っていたのに意外だったと先生が驚いていらした話をききました。
大人が心配するより感受性強い子供達は、現在置かれている状況をきちんと受け止め理解しているのだな、とその逞しさ、いじらしさに逆に教えられました。
失う物の大きかった体験を通し、人との繋がりや思いやりの大切さ、お金だけではない物の価値観など少しずつ人々の意識が変化し始めてきているようにも思え、若い人ほどその転換は早いのではないかと思いました。

 結局その日は悦っちゃん宅に泊めて貰い、翌日の帰宅途中近くの湯瀬温泉ふれあいセンターに入ってきました。久し振りの温泉は極楽でした。(私は100円、夫は200円、年齢別!)
しかし目の前の巨大な老舗、湯瀬ホテルは真っ暗で休業、付近の宿も多くは閉まっていて歴史ある温泉街の前代未聞の現況でした。
この災害は農業、漁業、工業だけに留まらず様々な生産分野を直撃しましたが、その先にあるあらゆる分野の仕事が絡み合い全てが繋がっているのが現代です。
大きな観光ホテルがこうならうちのような小さな宿もまた同様に大打撃を受けています。
でもいたずらに不安がるだけでなく、物事は良い方向へしか向かわない事を信じ、その 一過程として今回の辛い体験も受けとめ、立ち向かう覚悟でいなければ、と考えています。
ちょっとめげてしまう時もあるかもしれないけれど? 身体と心を元気にする工夫もしないと!

被災された方には本当にお辛いでしょうが、どうぞ上を見上げて歩んでいって頂きたいと思ったことでした。


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