おゆきの日々

 今どきこれって贅沢かもしれない?そんな何気な~い生活の日々、 そして常識と非常識の逆転もあり?の日々

癌から復活物語 >その14 治療室退院


14〔治療室退院〕

あっという間の楽しい3週間でした。
癌という病に恐れおののいている方、またその身内の方からすれば不謹慎と思われるかも知れませんが、私にはなかなか刺激的で充実した滞在期間でもありました。
それにここでやった治療法と言えば誰にでも、いつでも、どこででも出来るという簡単なものばかり、それが今後家に帰ってからの毎日に一番重要なことであったと思いました。

振り返ってみると、私には様々な良運が重なっていたと思います。
スケジュールを自由に組める夫婦2人だけの小さな個人経営者であったこと、付き添いの身内も同じ仕事で自由な時間を一緒にとれる夫であったこと、そんな治療なんて!と世間から言われるような治療法を選んだことに対して私側の、また夫側の親族も応援してくれたこと、殊に弟は理解者であったこと、本屋さんの棚に並ぶ1冊の本の背表紙がグッと弟の目に飛び込み、何気なく惹かれて手にとったのが加藤先生の本だったこと、良かれと思って助言してくれる外野の声に振り回されずに済んだのは、まず先に全てを自分達で決められた環境下であったこと、好きな作家の三浦綾子さんのパンフレットに巡り会えたこと、そして何より諦めないで医者任せにせず、治療法を夫が自分で必死に探し選んでくれたことが大きなことでした。

私を助けたいと思ってくれる夫の強い思いが伝わり、私の気持ちもそんな夫にぴったり寄り添うことが出来たのだと思います。

私の日頃は物事をグズグズとなかなか決められない性格ですが、物事の土壇場に遭遇すると正反対で思い切りよく、駄目なら駄目、良ければ良いと即決です。そして出来る限りの最善を尽くした後は、何か大いなる者にお任せしてしまおうという所があります。

病院にいても治療室にいても私はいつも顔色も良く元気そうで病人らしくないと言われ、夫と2人でいると必ず病人は顔色の黒い夫の方だと思われてしまっていました。
病は気からと言われますから、これでいいんだと思った瞬間からそれを信じ、ベストを尽くした後はお任せでしたので気楽にのんきにいられたのかもしれません。
滞在の方の中には本当に大丈夫だろうかと疑ったり、怖いと恐れたりなかなか自分の立ち位置を決められず、点々と違う治療法を求め歩いていく方もありました。
先生から病には病気と病体の違いがあると教えられ、この違いをはっきりと自覚納得することが出来たのです。

夫も私と同じスケジュールをこなしてくれたことで得たものは特大だったようです。
ただし空きっ腹は余ほど堪えたらしく、ある日お母さんの付き添いで来られていた大学生の息子さんをこっそり誘い出し、下の食堂街でラーメンをおごり一緒に食べてきてしまいました。
食べ盛りの息子さん、ミルク食だけの日々は夫より更に相当きつかった筈です。
「これは内緒だよ」と2人の約束だった筈の翌日、マッサージの順番待ちの大勢が居並ぶ中で、「昨夜は息子がご馳走になったそうで、ありがとうございました!」とお母さんから大きな声でお礼を言われてしまったのです。
スタッフさんに「ありゃま~ッ!」とちょっとにらまれてしまいました。

マッサージは通常はスタッフさんから受けますが、初回の時は、身体の箇所を色々診て頂きながら必ず直接加藤先生から受けることができました。
当時すでに加藤先生はご高齢で、私達が直接施術を受けられた最後の頃の患者ではなかったかと思います。その後先生が亡くなられたあとは継ぐ方がなく治療院はなくなり残念なことになってしまいましたが、私は本当にラッキーだったと思います。

治療室では、完全に1人の人間の細胞が全て入れ替わるには7年掛かると聞いていました。
生かされている限りは、自分の身体は自分で責任を持つ努力をしていかなければ、と帰宅後のその先7年とは行かなくても、出来るところまで習ってきた食事を続ける気持ちになっていました。
こうして沢山の思い出を詰めて退院の時がやってきました。

15〔帰宅後1人旅へ出る〕につづく



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