おゆきの日々

 今どきこれって贅沢かもしれない?そんな何気な~い生活の日々、 そして常識と非常識の逆転もあり?の日々

癌から復活物語 >その3 宣告を受ける

3 〔宣告を受ける〕

私の性格なのか、不安や心配を覚えることは一つもなく、手術台に載せられれば素直に全てにお任せの心境です。

いよいよ手術、時間も大分経過した頃、その最中に夫は手術室に呼ばれ、私の大きく開かれた腹部の前に誘導されました。そこは臓器が上下に押し分けられ、全く何もない空っぽで不思議な状態だったようです。
開腹中のお腹に医師は手を突っ込み臓器をつかみながら、「取ろうとしている部分が腸に癒着していてなかなか取れないでいる」、と夫に説明されたそうです。

夫は初めて見るその異様な光景にショックを受け、控え室に案内されてからもしばし呆然としていたとのことでした。それはそうでしょう、誰だってビックリするわ、と後で話を聞いた時に私も思いました。

そしてあゝ、私は、夫に腹の中全てを完全に見られてしまったのです!
腹黒かったぞ!と言われたのは冗談にしても、もうウソはつけません!
それにしても手術中に親族を呼んで、しかも開腹の様子を見せながら説明されるということはよくあることなのでしょうか? 初めてのことで聞いたこともありません。
けれど秘密裏に全て処置されてしまうよりずっと安堵感はありました。

それまで時間がかなり経っていましたが、更に経ってまた手術室に夫はよばれ、やっと取れた、とアルミ皿に載せられた気味悪い臓器(子宮と卵巣)を見せられたそうです。
(それを撮った写真もいただいて大切にとってあります)
腸に癒着して腐っていたような部分がかなり多く、その部分からの不正出血であり、また異常な痛みの元でもあったようです。

こうして約6~7時間掛かった手術は終了し、麻酔から覚めるのにも少し時間がかかりすぎたようですが、無事にこの日を終えました。

後で聞いた話ですが、担当医師が私とは違った隣のベッドの方は、麻酔から覚めた後も麻酔の後遺症が残り後々まで随分辛い思いをされたようで、そういうこともあるのか、とお気の毒に思いました。

結局臓器細胞検査の結果は、ステージ3の子宮源発の卵巣癌ということで、夫に今後は徹底した抗がん剤治療を施すが、うまくもってもその後は12ヶ月ほどの命と宣告をされたそうです。当時はまだ本人への癌告知は一般的には行われていませんでした。

私たち夫婦には子供はなく、住居は隣の家まで1km先、周囲を川と木々に囲まれた山深い静か過ぎる谷間にある1軒屋です。 春4月初めとは言え当地ではまだ腰辺りもある積雪地帯です。
夫にしてみれば、お客様のない日が続けば、降り積もった雪に囲まれし~んと物音一つない空間にポツンとたった1人、モンモンとした状態であったようです。

「徹底した化学治療を施しても尚あと1年しか持たないとは、本当に何とかならないものなのだろうか?こんなに医学が発達した現代に於いてもまだそうなのか」と考えると、夫は現代西洋医学の行き詰まりの壁を感じました。
そんな状態の病院なら諦めて黙って任せておくわけにはいかない、きっとまだ打つ手はある筈、そう信じた彼は以後東洋医学の分野に目を向けるようになり、むさぼるように様々な資料、医学書を読み漁ったようです。

〔夫の決断〕につづく



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