おゆきの日々

 今どきこれって贅沢かもしれない?そんな何気な~い生活の日々、 そして常識と非常識の逆転もあり?の日々

昭和・私の子供時代 > 1ー 父兄は小学3年生!


2012/02/26

〔父兄は小学3年生!〕
24~5年前弟が母を連れて大阪へ移りました。
私達兄妹4人は全員東京生まれの東京育ちでしたが、母の居る所が里(実家)ということになり、以来毎年里帰りは大阪となりました。

時を前後して妹一家も大阪へ移っていました。
現在妹夫婦は終の棲家を京都にしましたが同じ関西、それだけに年に1度の里帰りを兼ねた関西行きは大変楽しみになっています。

2年前、母は弟夫婦の温かい世話を受けながら在宅のまま96歳の天寿を全うしました。
今は弟夫婦だけですが、私達と同様子供がいないので今まで通りのんびりさせて貰いに楽しみに里帰りを続けています。

いつも2組の夫婦のお喋りは尽きません。
義妹は私と親子ほども、また夫は約一回り年下ですので、私と弟はたまに昭和の子供時代の話など若い!二人に聞かせてしまうことがあります。

弟「僕の幼稚園の父兄会に姉貴が来てくれたことがあったよね、父兄たって姉貴は小学3年生だっ  たんだよ!」
私「そうそう、しかもK子まで連れて行ってネ!」
2人「!!???」
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K子は私の6歳下の妹で末っ子です。
私は教室の後ろに並ぶ大人の(!)父兄達に混ざり、妹の手をしっかりと握り神妙な顔をしていたと思います。
親の代わりをしているという晴れがましさと、どことなく面映い妙な気分だったと思います。

「どうしてそんな事になったの?」「お母さんが、忙しいから行ってきて頂戴って、ついでに
K子も連れてって・・・かな?」
「そんな子供に?信じられな~い!」
「行けって言う親も親だけど、行っちゃう姉貴も姉貴だよなァ」
「さしづめ今なら子供の教育をどう考えてるんだとか、ふざけてるんじゃないの!とか言われそう」

あの時先生や周囲の父兄達は、ちっちゃな子供の手を引いた、これまたちっちゃく澄ました子供をどんな目で見ていらしたんだろう? そんな反応何にも覚えていません。
余程緊張していたのでしょう、妹が居ない事に気がついたのはやっと会の終わり近くになってからでした。

これも何故言わなかったのか覚えていないのですが、先生にも大人にも言わず弟と2人だけで小学校と幼稚園が一緒の大きい校舎内を必死に探し回りましたが、見つかりません。

夕方近く薄暗くなって来たのでついに帰ろうということになりました。
我が家の交通の最寄り駅は国電(現JR)浅草橋の西口、今を時めくAKBこと秋葉原(あきはばら)駅の東隣の駅。
住んでいたのは中央区ですが、1方が台東区浅草橋、もう1方が千代田区東神田に接していた所で、弟は何故か自分の区内ではなく、隣の台東区立柳北小学校と一緒の「柳北幼稚園」へ通っていました。
兄と私が通っていた都電通りを二つも渡る、小伝馬町の「中央区立十思小学校の幼稚園」より、こちらの方が危なくないし、ずっと近かったからかもしれません。

家から神田川にかかる佐衛門橋を渡り、国電の浅草橋駅ガード下をくぐり、子供の足で歩けば真っ直ぐ行っても30分位だったでしょうか?
普段通園に親が付いていった事は無かったと思います。

その途中に交番があったのを覚えていた2人は、そこでおまわりさんに相談しようということになりました。・・と、ナントそこに妹がいたのです!飴玉をしゃぶっていました。

どうやら教室内で退屈し、廊下を歩き回っている内に外に出てしまい、幼児が1人で歩き回っているのを不審に思った親切なお姉さんに保護されて、交番へ連れてきて頂いたようです。

「お姉ちゃんかい?良かったね、小さな子の手はしっかりと離しちゃいけないよ、気をつけて帰りなさい」とかなんとかと事情をよく知らないままのおまわりさんに見送られ、無事に会えた子供3人はやっと家に帰ることができました。

よくぞ帰り道の途中に居てくれたもんだと、ちょっとでも方向がずれていたら、と考えると今でもグッときて感謝です。

昭和、戦後間もなくの頃の親は生きるのに一生懸命でした。
母は子供に対して細かく言う時は言うのですが、また意外に無頓着な面もあり、結構放ったらかし状態で、小さな私を頼りにしている傾向が多々ありました。

親に迷惑かけられない、大丈夫よ私なら、と仕事や家事もよく手伝っていましたから、私は常にそれに応えようとしていた気がしますが、妙にませていたのでしょう。
それに我が家の母も当時としても変わり者だったのでしょうか?

現在のように園から送迎の車なんて無かったし、親の送り迎えなんていうのもなかった時代。
遠くまで幼児1人で歩かせて、そうだ、段々思い出してきましたヨ、弟は勝手に行って勝手に帰って来ていました。
今の親御さんには到底考えられないことでしょうね。
ある意味それほどナ~ンも危険が無かった良き時代だった、と言えるのかも知れません。
地域も良かったのかな~?。
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こんな話を呆れながら笑い転げて聞いていた義妹と夫でした。
                        ーつづくー

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