おゆきの日々

 今どきこれって贅沢かもしれない?そんな何気な~い生活の日々、 そして常識と非常識の逆転もあり?の日々

昭和・私の子供時代 >2ー立太子の礼・大群衆の中で小2の弟を見失った話

2012/03/01

〔立太子の礼〕
今日は大快晴、2週間ぶりの散歩で夫とバス停までソロソロと歩いてきました。
痛めた腰も大分快復し、輝く真っ白な雪、真っ青な空、久し振りに爽快な気分の一日でした。
昼から私が昨年採ってきた胡桃を大きなフライパンで炒って割り、実をほじくり出し、夫がそれを練り込んだパンをストーブで焼きました。
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 さてみなさんは「立太子の礼」ってご存知ですか?
皇太子を正式に定める時に執り行われる皇室の重要な儀式で、時として成人式と同時に行われることがあるそうです。(立太式)
今回は今上天皇(現在の天皇)の「立太子の礼」の時にまつわる私と弟のまたも?な話です。

いざ話をしようと思うと数字など案外うろ覚えの所も多かったので、その頃の資料を探してみました。
「継宮明仁親王(今上天皇)の「立太子の礼」が成年式(この時18歳)と同時に昭和27年(1952)11月10日、に行われた。
同年4月の主権回復後最初の国事であり、国民的な盛り上がりを見せた。当日、明仁親王の東宮仮御所から皇居までの移動は、馬車でのパレードが行われ、沿道には多数の市民が詰めかけた。
当時の日本国民にとって、復興と希望の象徴であった明仁親王の立太子は、大きな祝福を持って受け止められ、自治体・民間それぞれで多数の祝賀行事が催された。
また式典の最中、衆議院議長:大野伴睦は感激のあまり号泣し、吉田茂も涙で寿詞が途切れがちであったという。」---と。

さてこの時私は小学5年生、そして弟は2年生。
その弟を連れ斜向かいに住む同級生T子ちゃんと3人で、数日前から皇太子様を拝める!と大騒ぎになっていた皇居へ、何故だか?行って見ようという事になりました。

3人は早めのお昼をすませてから最寄りの国電(現JR)浅草橋駅から乗車、次の秋葉原駅で乗り換え、3っつ目の有楽町駅で下りて皇居二重橋まで歩きました。
玉砂利の広場にはもうすでに凄い数の人々が集まっていました。それでも私達はまだ早い方だったようです。
式を終えられると皇居から東宮仮御所までお帰りになられます。
こられた時と同様馬車でお帰りになるので、門から二重橋を渡って出てこられるのをお待ちするのですが、それが大体1時か2時頃か?とはっきりしません。

人垣は更に膨れ上がっていましたが、前列の人波は自然にしゃがんでいきました。私達3人も一番前に陣取ってしゃがんでおり、今か今かと待っていました。
周囲は大人ばかりでしたが、小さくても一番前だから良く見える、と余裕でした。
時計は持っていないので時間はさっぱり判らず、いくら待てどもなかなか出て来られません。

と、突然ウオォー!と地底からの唸りの様な音とも声とも形容し難い声が湧き起り、私達を完全に包み込み、あとは真っ暗で何も見えなくなりました!
しゃがんでいた前列の人々は一斉に立ち上り、前後左右全ての人達が歓喜、興奮、大きな渦となり後方の群集が前方へなだれてきました。
思ってもみなかった事態が起こり、子供の存在など全く眼中には無いがごとく、私達は揉みくちゃにされ、何が何だか判らなくなってしまいました。

かなりの時間がたちやっと人々が散会し始めた頃、T子ちゃんとは一緒で無事を確かめられましたが、弟がいないことに気がつき呆然となりました。
それからいくら探しても見つからず、もう夕方でした。
何とか先に帰っていてくれる事を願いながら、私達の帰りが遅くなっても心配されるだろうから、とT子ちゃんと相談の結果まずは帰ろうという事になりました。

「帰っていなかったらどうしよう、何て言われるだろう?」と様々な恐ろしい事を考えながら家に着いたのですが、弟は帰っていませんでした。

事情は説明したものの「どうしてちゃんとみててくれなかったの」と親には叱られるは、皇太子様をたった一目でも垣間見る事さえ出来ず、弟まで見失ってしまって、私は一体何をしにあんな所まで行ったのかしら?とクスン。

辺りはもう暗くなりどうしたものかと散々家族で心配し、外に出ていると、その暗闇の中からヒョッコリと弟が帰ってきたのです。
それはまぁ驚き、喜こび、安堵は半端ではありませんでした。
何しろまだ小2です、よく1人で無事に帰ってきてくれた、と大騒ぎになりました。

たどたどしい話を総合するとこんな具合だったでしょうか。
突然立ち上がった巨大な群衆の渦に巻き込まれ、私と離れてしまった。
私達が見つからないので仕方なく1人で帰ろうと歩き出したら、たまたま国電の神田駅に出た。(60分)
神田駅は小学校から遠足や校外学習などへ出かける時の最寄り駅で、幸い弟も何度か行って良く知っていた。
そこまで来られたので神田駅から小学校までは簡単(20分)、そこから家まで(30分)帰ってきた、という事でした。

小さな弟には初めてのあの広い皇居前広場と人混みから、方角も判らずに歩き出したところ偶然にも行き着いた駅が神田駅、というのも奇跡のようですし、小2の子の足で、しかも最後は暗闇の中を、泣きもせずよくぞよくぞ歩いて来たもの、と今でも感心しています。

予想も出来なかった群集の動きの怖さを知った時でもありました。
更にあれから時代は移り、今は皇室へ対する国民の感情も随分様変わりをしてきたようにも感じられ、複雑な気持ちでもあります。


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