おゆきの日々

 今どきこれって贅沢かもしれない?そんな何気な~い生活の日々、 そして常識と非常識の逆転もあり?の日々
 

昭和・私の子供時代 >4ー思いっきり遊んだ子供達  

 
2012/03/13

「子供達」
妹の生まれた翌年の春に私は小学校に入学しました。
疎開先から戻って丁度1年目でしたが、その間ごたごたとしていたので幼稚園には行かれずただ遊んでいました。

もう其の頃近所にはあっという間に家が建て込み、ウジャウジャと子供達が増えていました。
当時子供は7人という家もありましたが、どこにも平均4人はいたと思います。町内の子ども会の活動も活発でした。

子供達が遊ぶ時は学校別や地区毎にまとまって、大から小まで(大体中学~小学)みんな一緒に束になって動き回っていました。
隣町の子供達には全員で妙な対抗意識を持ち、それこそ徒党を組んで動いていたような感じです。学校で会えば隣町の同級生とも仲良く平気だったのに?これが未だに不思議です。

幼稚園以下の子は「お豆」と言われ、どこもお兄ちゃんやお姉ちゃんが面倒を看、お豆ちゃんはチョコチョコみんなの後について回っていました。

子供達は子供達だけの世界で思いっきり遊び回っていました。
たまに誰かが泣かされその親が出てくると、「子供の喧嘩に親が出る~!ワーイワーイ」とみんなに囃し立てられてしまいました。

其の頃の大勢での遊びの人気は、道路がまだ未舗装だった頃は釘で地面を引っかいて陣を取進めていく「陣取り合戦」がありました。
小学校の校庭では、何人も連なり其の上に何人も乗っかって全員でつぶれてしまう「馬乗り」、大きなS字の中の相手の子を引きずり出す「S合戦」、遠くまで逃げて隠れてしまう「缶蹴り隠れんぼ」、遠くまで走ってどこかをタッチしてツナに間に合うように戻って飛ぶ縄跳び等々。また外ではビー玉、メンコ、教室ではおはじき、お手玉・・・・

でも其の頃面白かったのはこれだけではありません。
うちの表通りは靖国通りといい都電が通っていました。当然車はまだ少なく、アスファルト道路はローラースケートにはお誂え向き、私も兄やその友達に混ざって都電の通った後に向こう側へ渡ったり戻ったり。

またレールに耳をつけて伝わってくる音を楽しんだり、レールに太い釘を置き都電が通り過ぎるのを待ち、見事にぺちゃんこになったのを見るのが面白くて、それをゲームにも大切に使ったりしていました。
道路はどんなに細い路地の奥までも瞬く間に舗装をされていきました。

その舗装された道路上に「ロウセキ」を使って、道幅いっぱいに大きな絵を描いて遊んだのも
忘れられません。
蝋石とは?今の子供さんは知らないかも知れませんが、私たちの子供の頃は、これが大活躍していました。歴史民俗用語で緻密(ちみつ)で塊状,蠟のような感触のある鉱物や岩石の総称とあります。
小学校の遠足で行った秩父・長瀞渓谷の、美しく青白い大きな岩畳はこれが殆どで、土産物屋さんには書道の墨くらいの大きさにカットされた物が袋にいっぱい詰まったものや、筆立て、花瓶などに彫られた物が所狭しと沢山並んでいました。また篆刻に良く使われている物でもありますが、最近は全くと言っていいほほど見かけなくなってしまいました。

当時は復興復興と面白いように、隣近所に次々と家が建てられていった時代でもありました。
ある夕方には、兄と壁を塗る前の柱に横板を打っただけの、まだ建築中でスケスケ状態の家の2階まで、外側の横板だけでよじ登ってみたりのスリル満天な遊びもやりました。
これらは全て「何て危ない事をするのっ!」と親にこっぴどく怒られ、注意されましたが、本当に今考えれば大変な事故になり迷惑をかけかねない遊びばかりでした。

私は兄やその友達の男の子に混ざってよく遊んでいて、今思い返すと何故か私と同年代の女の子は混ざっていなかったのが不思議ですが、丁度遊び仲間の年長組に兄がいる年頃だったので、兄の影響が大きかったのかもしれません。

疎開先の雪国の山の中から戻って数年の私達兄妹にとって、都電はとても興味がありいつ見ても飽きない物でした。雨の日は電車通りに兄、私、弟と3人並んで傘をさし飽かず眺めていたそうで、可愛かったわよーと母がよく話してくれました。
家は都電浅草橋と豊島町という停留所の間にあり、後年兄も私もこの都電で中学、高校と通いました。

いつしか靖国通りは車があふれ、都電はとうとう廃止の運命に、その分更に車は増える一方の世の中となっていきました。
そしてあんなに活発だった子ども会も私の中学生の頃から子供たちが少しずつ減り始め、活動が鈍り始めていきました。

昭和30年代の半ば頃になると店の経営者達は郊外に居を構えるようになり、家族はそちらへ越し、都会の店へは経営者のみが通うというようになり、その結果子供たちの姿は消えていきました。気が付けば卸問屋の商店と大手銀行だけが立ち並ぶ無機質の町と化していきました。




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