おゆきの日々

 今どきこれって贅沢かもしれない?そんな何気な~い生活の日々、 そして常識と非常識の逆転もあり?の日々

昭和・私の子供時代 >6ー家の真向かいの火事

2012/03/20

「家の真向かいの火事」


私が中学生の頃だったと思います。
ある朝早く、騒がしい異様な物音に目を覚ますと、外が赤くバチバチしているのに驚いて飛び起きました。窓から外を見下ろすと我が家の周りはもうすでに人でいっぱい、我が家が一番寝坊助だったようで 「○○さん、大事な物あったら受け取ってあげるから、放っていいよーッ」と町内会の方の声、ナンと我が家の向かいの家が燃えていたのです!

「じゃあー、お願いします!」と素早く母が投げ下ろして受け取って貰った物は、赤いトランクが1つだけでした。
「たったこれだけ?もっとあるでしょー?」「それだけでいいんです」

母は貴重品の類はいつもきちんとこの中に整理していました。
そのトランクも非常時を考え、例え放り投げてもうっかり開かないよう常にしっかり紐で結わえてありました。日頃から自分が留守の時は他の物はいいからこれだけ出してくれればいい、と母からよく言われていて、押入れの判り易い場所に置かれていたのを覚えています。

まさにその時全く慌てずであり、かつまた「それだけでいいんです」と言い切った欲の無さ、いさぎよさ、我が母ながら天晴れでした!私はそんな母に似たかったなァ~、残念!

と、こちらに向かっていた炎が突然風向きが南に変り、同級生のT子ちゃんの家の方に移ってしまい、彼女の家を半焼程度でやっと鎮火し、火元のお向かいは全焼でした。
翌日T子ちゃんの顔を見たら何か変?いつもと違う?よ~く見たらまつ毛がチリチリ燃えてしまって、なかったのです!人の顔ってまつ毛一つで変ってしまうものですね、でもまつ毛だけで無事で本当に良かった!

火元のお向かいでは、昨日まで遊んでいた可愛い双子の女の子2人共と、おばあちゃんの3人の死者が出た全国版ニュースにもなった火事でしたが、その火事で息子さんご夫婦は養子さんだったので、そこの直系の筋の方は完全に絶えてしまわれました。

こうして焼けた家やその周囲も、やはりしっかりした建物へと変化していき、いつしか町全体が大きなビル群の塊となっていきました。
ビルと車の洪水に囲まれていく程に生き生きと声が響き渡っていた生活は遠のき、家族達は次第に郊外に居を移し、子ども会など遠い昔の思い出話となっていきました。
戦後の復興は本当にあれよあれよの速さでした。
みんな必死だったと思いますが、これでよかったのか?今は何か大切な忘れ物をしてきてしまったような気もしています。

昨年の震災以後の復興は、戦後のそれに比べれば遅々として全く進んでいません。
渦中にいられる方達には一日も早く落ち着いた生活ができますよう祈るばかりですが、一方今度こそじっくりと慌てず急がず真に必要な物、大切な事を考えての新しい形の復興であって欲しいと願っています。




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