おゆきの日々

 今どきこれって贅沢かもしれない?そんな何気な~い生活の日々、 そして常識と非常識の逆転もあり?の日々

昔の八幡平・YH >八幡平大沼YHー2


2011/01/12

・その2 八幡平大沼YHー2
秋田八幡平大沼ユースホステル(以下YH)は現、大沼ビジターセンターの建っている場所にありました。現在のB・センターは建物内にトイレが入っていますが、その頃、YHの建物のすぐ眼下に公衆トイレがあり、それは道路側から見ると、大きな駐車場の奥の隅に位置していました。

公衆トイレの屋根は平らで、トイレの後ろ壁とYHの建つ高台の地面からの間に7~80cmの隙間がありました。
女子にはホンのちょっと勇気がいる微妙な幅でしたが、いつもその隙間を思い切って「エイヤッ!」と飛び越えて若者たちはその屋根に群がっていました。

駐車場は観光バスの発着場にもなっていましたから、毎日のように大勢の人達で賑わう景色を眺めるのもおもしろいものでした。
そこからバス道路を挟み正面に大沼温泉、その先には大沼の美しい湿原が広がり、周囲はこんもりとした木々に囲まれ1日中そこにいても飽きることはありませんでした。

全国から集まってきた旅好きの若者たちが、入れ替わり立ち代りそのトイレの屋根に陣取ってふざけあったり語り合ったり、何をやっても可笑しく、楽しく充実した時を過ごしていました。
そしてみんなはその公衆トイレ屋上を「大沼YH別館」と呼んで愛していました。

当時八幡平の電話は全て無線で繋がっていました。
各宿毎にダイヤルではなく、取っ手の回し方が決められており、それによって鳴る音の違いから、呼び出されている宿が判るようになっていました。
例えば「ツーツー、ツ、ツーツー、ツ・・・」は○○温泉、
   「ツーツー、ツーツー、ツツツ・・・」は△△温泉、この鳴る音を聞き分けて、うちだ、あそこだと判断していたのです。

YHにはその電話もなかったので、現在は「大沼レイクイン」と名を変え立派になっている当時の大沼温泉さんの電話にお世話になっていました。
(注、2013年に廃業後、2015年から他の経営者に移りました)

大沼温泉さんにYHへの電話が入ると、「オーイ○○さんに電話だよ~ッ!」っとバス道路を挟んで大きな叫び声で取り次いでくれていました。忙しい時期には温泉さんもさぞや大変だったことと思いますが、若者たちが沢山周囲に居ることが嬉しそうでもありました。

呼び出された本人は、YHから電話口まで100m近い距離の下り坂を猛ダッシュ!雨が降っていれば傘も要ります。結構息がきれます!
本人が走り出た途端ペアレントや居候達は「急げ~ッ!」っとラジオを点けます。
その頃周波数をうまく合わせると、電話の話し声がラジオで聞ける事を発見、居合わせた者達は猛ダッシュの仲間の電話での会話をナント、「ウッヒッヒ・・・」と盗聴していたのです。
電話を終えた仲間もそれを知っていてニヤニヤと戻って来る訳ですが、個人情報云々なぞと全く関係なかったのどか~な時代だったから出来たことです。

YHは昭和39/6月~昭和49/10月までの10年間存在しました。
秋田山岳国体の時、高校生の仮宿舎として大急ぎで建てられた物と聴いていますが、それはとんでもないバラック小屋でした。
桟にリンゴ箱を壊したような横木を打ちつけ、そこにブロックを積んだだけのような代物で、すでに雪が降り始める頃の秋の寒さは尋常ではありませんでした。

国体終了後すぐ取り壊す筈の物が何故残されて、しかも準YHとして届けられ許可が取れたのか?はすでに知る人もなく闇の中。
けれどこのオンボロバラックのYHの中で、全国から集まった大勢の若者達の青春が炸裂し輝きあったのです!

〔八幡平大沼YHー3〕につづく

昔の八幡平・YH >   八幡平大沼YH- 2  前へ


更新情報・お知らせ

ホームページリニューアル。NEW