おゆきの日々

 今どきこれって贅沢かもしれない?そんな何気な~い生活の日々、 そして常識と非常識の逆転もあり?の日々

昔の八幡平・YH >ゆきの小舎ー1


011/01/17 Mon 17:53

・その4 ゆきの小舎ー1
現在「ななかまど団地」という別荘地帯になっている場所ですが、昭和50年当時は樺太から引き上げてこられた数軒の開拓の方が入り、それも1件だけ残っていたというだけの広大な台地。
大沼のYH最後の頃から探していて気に入った場所をそこに見つけ、簡単なブロック建ての小さな廃屋を借りる事が出来ました。

大沼YHよりはまだ少しはまし、かな?と思えるような建屋でしたが、内装の手直しと一部増築を地元の大工さんに頼み、広大に広がる草深い台地にたった1件、それはポツンと建ちました。
そして昭和50年8月11日、大沼YHに似た雰囲気のバラックのような建物ではありましたが、大沼YH閉館より1年後、やっと念願の旅人集う小さな山の宿を開業する事が出来ました。

保健所、消防署、土木の建築確認と営業に最低限必要な許可だけは全てきちんと取りましたが、
営業に欠かすことの出来ない電話はないままでした。当時引くとしたら、一軒だけなので100万円近い個人負担と聞かされ、とんでもないと辞めたのです。
電話が無いままに始めましたが、ありがたいことに大沼YH時代に出来た多くの仲間たちの繋がりのお陰で、紹介と口コミだけでこのちっちゃなボロ屋に仲間達が押しかけてくれました。
電話がない、と言うことが逆に面白がられもしたようです。

当時はバブルの最中、多くの若者たちが自由に全国を動き回っていた時代でした。旅の中でお金が足りなくなると、いくらでもいいアルバイトがありました。
そこでちょっとお金を貯めてはまた先へ進みます。そうしてその頃の若者たちは自分探しの旅を続けていたのです。

私も夢を持って家を出たのが昭和45年、自分の宿を作るための場所探し、と称して全国を旅して廻り、途中のYHで手伝わせて貰ったりもしていました。旅館や民宿のこともありました。何年か九州~北海道を廻っているとその内手伝ってくれ、と呼ばれたりすることも出てきました。

あちこちで途中で出会った人達との再会もありました。それだけ人が長期間に渡り動いていたのです。次第に仲間意識が生まれ、互いに自分の夢を語りあっていました。

あちこち廻っていた中で大沼YHに引っかかってからは、そこからが旅の出発点であり、帰り着く場所ともなりました。
旅に出ていない時は大沼にいましたので、大沼YHのおゆきとして知られていき、そんな繋がりが小舎開業に大きな力となってくれました。

営業期間は翌年から4月~11月初まで。その年、翌年はYH時代の仲間・ゲジさんに手伝って貰いました。私はまだ運転免許も持っていませんでした。
初年度は11月3日で小舎を終了後、春までバイトをしながら自動車免許を取得するため青森県の黒石で過ごすことにしました。
当時黒石にあった西十和田YHに以前から行っていたこともあり縁があったのです。

黒石では、西十和田YHの前任ペアレントだった方が転勤で他の施設へ変わられましたが、お人柄を慕って、その近くにあったご自宅に多くの若者たちが集まり、何かとお世話になっていました。私はそこで一冬お世話になりながら、自動車教習所に通い、西十和田YHにもよく顔を出していました。その時西十和田YHのペアレントには、前任者の推薦で大沼YHを辞めた熊さんがなっていました。

冬の間、小舎の屋根の雪下ろしをしに行かなければなりません。ある日YHでそろそろ行こうと思っている、とそんな話をしていると、「面白そう!一度雪下ろしをやってみたい!」という声が、それを聞いていた滞在中の人の中から上がりました。
それもいいな、と仲間達を集い何度か小舎の屋根の雪下ろしにも通ったことがあります。

ある日7人で除雪隊を結成、黒石から電車とバスを乗り継いで現地にやっとの思いで到着です。
今からは考えられない程の雪の量、玄関もどこにあるか判らない、そのまま屋根までは簡単に上れた状態です。
やり慣れない人達はすぐ根を上げましたが、Mさんと私だけはさすがだったなァ。私も若かった!とつくずく思います。

雪は上方から掻き始め、途中で滑り落ちるのを防ぐ為、ヒサシに添った1m幅位は最後まで残しておきます。そしてほんとの最後になってから、残しておいた雪の上に7人がズラ~っと横並びに腰を下ろします。
足を前に伸ばして手を繋ぎ、セェーノッ!の合図で一斉に尻で身体を浮かし、勢いで屋根雪を抱え込んだまま下の雪の中へダァーッ!っとなだれ落ちます!
体ごとすっぽりと雪に突っ込んで、みんな大はしゃぎ、あんな楽しく痛快な気分は滅多にあるものではありません。

その夜はすぐ近くにあった小舎では普段いつもお風呂を貰ってお世話になっていた、今はもうないトロコ温泉「ななかまど荘」に宿泊し、賑やかに労をねぎらい合いました。

除雪は確かに重労働ですが、大勢でイベント化すると想像以上に楽しめるものだと思いました。
屋根雪を下ろさないでおくと、4枚障子の中央の鴨居にはめ込んでおいたつっかえ棒が、重みで完全にくの字に曲りそのままだと崩れてしまいます。 雪をどけると簡単に元通り真っ直ぐに直ってしまうのが面白い位でした。
だから人の住まなくなった雪国の建物は、あっという間に崩壊してしまうのも実感としてよく解ります。

今も雪から家を守る事は大切な冬場の仕事となっています。

そしてこの場所で独身での営業状態が、別荘地開発に伴う立ち退き問題が浮上し、移転する最後の年昭和57年10月31日まで続きました。

〔ゆきの小舎ー2〕につづく

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