お ゆきの日々

     秋 田・八幡平の山懐

折々 の日誌】  ゆきの小舎は無事です

  

   2011/03/14

  3/11、訳の解らない大地震、小舎は無事です!ご安心下さい。ご心配頂き本当にありがとうございました。
安否を気遣ってのご連絡をまだ頂きながら、ご心配をおかけしたままになってしまいました。
2日間停電でやっとメールができるようになりました。ブログへのUPが遅くなってすみませんでした。

 当日知人にメールを打っている最中にプツっと停電、アレっと思った時そばから初めて聴く妙な音がしました。携帯からだったので見てみると「緊急地震速報」とあり、きんきゅうじしん、などなど字を追っている間もなく突然もの凄い揺れ、2人揃っていたのでまずはコートを羽織り急いで外に飛び出しました。
妙な音は緊急警報警告音で、携帯では初めて聴きました。

幸い小舎の前は何の建物も障害物もなく、立っていても危険はない環境なので吹雪く雪の中でしばらく落ち着くのを待ちましたが、こんなに長い揺れは初めてのように思いました。
その後も余震が何度もありその度に外に逃げましが、幸い建物も私達も何も被害はありませんでした。
停電になったため井戸のポンプも止まり断水となりましたが、早めに鍋や大薬缶等に汲み置いた水と ペットボトルの水も沢山予備があったので大事に使い事なきを得ました。
灯りはランプとローソクは沢山ありましたが、主に即消すことのできるローソクにしました。
余震も多かったので貴重品をまとめておき、すぐ逃げられるよう夜は居間の方で着の身のままで休みました。

暖房は薪ストーブが主なのですが、これはすぐ消せず危ないので使わない方がよいと判断、反射式灯油ストーブ1ヶにしました。とにかく寒かったのですが寒さは我慢、その分服はいっぱい着込んでおきました。
それでも冷えが強く感じられる箇所には新聞紙を服の間に挟んで温かく過ごしました。
ガスはプロパンだったので使用できましたが、極力節約して暖をとりながら煮炊きもできる反射式灯油ストーブ1ヶに大活躍して貰いました。

 幸いにも宿は休業中、食料は私達だけには充分にあります。
情報はテレビが駄目なので普段のラジオを電池に変えて聞いていました。
昨朝初めてテレビの画面を見て、聞くと見るとは大違いの感があり、あまりの悲惨な様子に胸が つまりました。
まだ連絡がとれないままの仲間もいて、無事であってくれることを祈るばかりの状態です。
後になってどんどん入ってきた情報では関東周辺、長野でも かなり大変な目に遭われた方達も多かったようで驚きました。都会の帰宅難民も凄かったそうですね。
原発事故も大変気になります。

それなりの事はありましたが、私達は2人揃っていましたし、食事もこの先来るであろう食料不足の時に備え断食したり、少しずつ少食に慣れていこうと日頃から話し合っていたので、万一食べ物が無ければ今は断食中、と思おうという気持ちだったので気分はかなり楽でした。
夕食におじやを食べられただけでもありがたく、今回は丁度ミニサバイバルを体験したことになりました。

今後も今回のように広範囲に突然何が起こるか判りま せん。皆さんもどこにいらしてもどうぞ充分にお気をつけて。
ラジオの電池は一夜開けてから近くに買いに行きましたら、すでに当日の内に全てなくなっていました。
情報収集にはラジオが頼りのツナですから電池は是非。
お互い普段からの心構えをしっかりとして過しましょうね。

                                
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