おゆきの日々

 秋田・八幡平の山懐で:                         

折々の日誌 雪の降り方今昔


 2018.2.6

 先日、1月31日夜 皆既月食見ましたか?
 皆既月食は「ブラッドムーン」、1ヶ月に2度の満月を「ブルームーン」と呼び、今月は地球に
最接近中の「スーパームーン」。日本でブルームーンと皆既月食とスーパームーンが重なるのは、
今から152年前で、1866年3月以来の「スーパー・ブルー・ブラッド・ムーン」だったそうです。


写真は丁度戻り始めの11:08'頃撮影
したもの。
周囲の冷え切ったこの黒い夜空には、
無数の星が見事にきらめいていた。
デジカメだし、寒いしであまりうまく
は撮れなかったけれど、152年ぶりと
いう天体ショウーを眺めることが出来
たなんて本当にラッキーだった。

 


 さて今日は前回UPした写真とは打って変わった吹雪の景色。
2月に入り晴天続きの後、ここ2~3日はまた雪、そしてあきれる程降り続いている。


橋から小舎の建物を望む
今日の予報では福井で一日に1mを超す積雪になるとか、新潟辺りではこれまですでに3mを
超える所もあるとか、それからしたらまだまだ甘いかもしれないけれど!


看板も埋もれてしまう、休業中
だからま、いっか!
でも後ろの八重桜は今にも折れ
そう!助けて~!








工房の後ろのお隣の納屋、もう
屋根の雪下ろしにも来ず放って
あるから凄い雪!
とにかくよく降り続き、除雪を
する傍らからグングン
積もって
いく。





 旧小舎の頃、冬は年末年始の1週間だけ営業していたことがあった。
そんなある年、お客様が全員帰られて営業を終え、全て片付けをすませてから大きな荷物を
抱えて東京に帰るべく玄関を出ようと戸を開けたら、ワッと雪が胸の高さまで迫ってきた。
お客様が帰られた1~2日
後から雪が一気に想像を超えた降り方をしていた。
普段は10分程で行けたバス停まで50分近くはかかってしまっただろうか、多めに見ていつも
より30分は早く家を出たのに
バスは私たちの目の前をス~っと通り過ぎて行ってしまった。
1m以上の
新雪の上を歩く大変さは、経験者でなければ想像できないかもしれない。フッワっ
と身体が沈んでしまってまるで進めないのだ。
その時は最期まで手伝ってくれた青年と一緒に小舎を出て、彼の後ろを必死について進んだ。
歩くというより膝を折っていざりながら進むような感じ、とでも言おうか、彼がワッシワッシ
と全力でラッセルしてくれたお陰で何とか進むことができたのだが、それでも
50分近くはか
かってしまった
のだから驚きだった。

 現小舎でももう8年程前になるだろうか、その日の朝はあまりに一気に降った雪のため生活
路線優先でここには市の除雪車が来ていなかったため、バスから降ろされたまま動けなくなっ
ていた久美ちゃんが悲鳴を上げて携帯からSOSを発信してきた。
そこで丁度前日から泊っていた方達と総勢7名で久美ちゃん救援隊を組んで出発した。
この時も余裕をもって出かけたのに元湯さんとの分岐迄いつもは5~6分のところを30分以上
はかかってしまい、あの時とよく似ているな、と40年程前のことを懐かしく思い出した。

 現代は除雪車や軽く扱い易い除雪の道具、そして暖かに良く出来ている防寒着、栄養豊かな
食物、防寒対策のとれた建物、暖房等々、昔と比べたら比較にならない程恵まれてきている。
けれど私達はそんなことにすっかり慣れきった身体になってしまい、ちょっと雪が降った、積
もったと大騒ぎをしている。

 私たちが今住んでいる場所に昔住んでいたご一家は、家の前の橋の一つ下の橋のたもとに引
っ越しておられる。すでに亡くなられたけれど、そこのお父さんは殆ど私と同年代。

ーその方に以前伺った話ー
小学校へ行く時彼は、妹さんを背にして今の橋を渡った正面の崖を上り(志張元湯へ行く旧道)、
そこでスキーをつけ、そのスキーの前部に妹さんを立たせて今の志張バス停の一つ向こう辺り
にあったバス停まで一緒に滑って行ったという。大人はバス停まで雪道を黙々と3~40分ほど
歩いていたらしい。
ほぼ同年代の隣の父さんといつも一緒に通ったもんだ、と話してくれた。(この方もすでに故人
となってしまっている)

 現在のゆきの小舎をオープンして3年間は私達も冬の間はその旧道迄の急な崖を上り下りして
いた。3年間は市の除雪車もまだ来てはくれなかったので、春までの物資の大半を秋の内に運び
入れ、まさに越冬体制をとっての暮らしであった。
雪の階段を作るのが朝夕の日課、すぐまた雪で埋まってしまうのだけれど、そうしないと生活が
出来ないので必死だったが、私達も若かったからできたこと。
大変大変と言いながらあえて好きで住み着いた場所、そんな生活をどこかで楽しんでもいたが、
それは隣の父さんの頃との大きな違いでもあった旧道迄上がればそこには車を置いてあったから
こそ出来たことであった。

あの深い雪の崖をよく妹さんを背負って登れたもんだと思うし、スキーの2人乗りでよくもまあ、
とつくづく感心してしまう。昔の人は小さな時から身体が自然に鍛えられていたのだろう。
またそういうもんだ、と思っていればそれ以上のことは考えず、それで日々が成り立っていくの
かも知れない。
私達も人から「そんな不便な場所でよくもまあ」と度々言われてきたけれど、あの頃なりに同じ
ような感覚だった気がする。
あの頃に比べると今はどんなに積もっても一晩で1mまではまず行かない。それに反比例して除雪
が年々きつく感じられるようになってきたのは???

 立春も過ぎいよいよ時折顔を出す日差しが明るく春めいてきた。凄い雪もそろそろ終盤かと思
うと、安堵感や懐かしさで雪の降り方今昔を思うこの頃。

ーおまけー



 「春待つ童女」
 玄関に生ける
       
 









    

こけしにミニ座布団を作ってあげたら暖か
そうで
喜んでくれているみたい 











「今のシクラメン

8本あった花芽が次々に咲き終わり、
今はこんな風に3本残って咲いている。
葉っぱはしっかり成長して逞しくなっ
ている。
この花と葉が終わればまた針金のよう
に枯れて、次はいつ頃どんな風になる
のだろう?
我が家の不思議なシクラメン。



「ベゴニア」

脇にニョキニョキ出ている細い茎芽
はリンゴや柿の種をまいておいた物。




                    




「今冬の窓辺の緑」
キャベツ、キャベツ、根パセリ




                                   ↑PAGE TOP

折々の日誌 >次 へ 雪の降り方今昔    前へ