お ゆきの日々

     秋 田・八幡平の山懐で:


【折々 の日誌】 新型コロナで思うこと


2020.3.21

 今日は春分の日の翌日、朝から雨。
穏やかに、みぞれ交じりの春の雨、ドンドン雪も融けていく。
例年だと4/初旬の雪景色だろうか?
数年前ならそろそろ大阪行きを考えて、どことなくワクワクソワソワしていた時期でもあった。
今は母も弟も亡くなり大阪には行かなくなって久しい。
京都の妹とは、会いたい時は真ん中の東京辺りで会おうということにしている。
それでここ数年、この時期はゆっくりとした雪の中での生活を存分に味わっている。

そして今年、なんとまあ、新型コロナウィルス騒ぎ!巷は大変なことになってしまっている。

アジアだけではなくヨーロッパにも南米へもドンドン感染拡大してしまっている。
学校休校、催し物・外出自粛、県境の往来禁止、とすでに通達、注意喚起は数え上げたらキリがない。マスク不足やチリ紙騒ぎ、まるで普段の 人々の精神がおかしくなってしまっているかのようだ。
それでもテレビの映像などで観る限りでは、連日コロナ怖い怖いと煽るようなニュースの割には、人々が鷹揚な行動をとっているかに見える。 大袈裟に心配、騒ぎ過ぎるのもよくはないと思うけれど、余りに無防備過ぎるのも少々気になる。
正しく知って正しく判断をしなければならないけれど、その正しく知るということが最も難しい。
何といっても未だかつて無かった事態なので、情報も入り乱れ何が正しいのか皆目分からないというのが現状だ。

 確かに異常事態だと思えるが、でも一つだけははっきり言えることがある。
「自分にふりかかる一切は必然に して最善と思うこと」
今の私達2人はこの言葉が一番ぴったりで心に響いている。
全てをこの心で迎え入れるととても楽になり、恐怖も心配もしなくて済むようになる。
 
学校が休校になれば、家にいるだけでは退屈になった子供たちは公園に出て行く。そこで友達と交流をし、遊びも工夫するようになる。勉強方 法も勤務方法もNETを通じて出来るように、行政や企業、教育機関が新たな知恵を出すようになる。物が品薄になってくればその大切さにも 気づき始める。外国に頼っていた製造業も国内生産に移し替え、農業の分野でも何かあった時のためにも国内自給率を上げるように努力する。
こ れからあ らゆる分野で創意工夫の結集合戦が始まっていくのではないか、と想像すると愉しくもなって来る。
こ うしてこれま での様々な 価値観が思いがけない変化をし始め、経済中心の生活から家族仲間を大切にした人間本来の優しい生き方に移り変わっていくのではないかと思うし、そう願う。

一見すればかつて味わったことのない大変な時代ではあるけれど、国難の時こそ人々は、火事場の馬鹿力のように知恵や工夫を絞りだすような 気がする。
私は第 2次世界大戦経験者(東 京大空襲の日に
)で、 すべてが灰になったところから生きてきた歴史が教えてくれている。
大きな時代の転換期、よく世に言われるようにこんな時こそ偉人も傑出するかもしれない。
今どこに?どんな人だろう?とあれこれ想像の枠も広がる。
勤め先の倒産で職を失う人々、閉店の憂き目を見る
客 足激減の観 光地の 宿、自粛、中止、延期などで大打撃のコンサート・催事等々個々には死活問題であり、現実的にはしばらく混乱の時代になりそうだ。けれどど のようになろうと俯瞰して見れば、より良き時代への避けて通れない通過地点であると捉え、持ちこたえる努力だけは惜しまないでいたい。

 先日夫が左手薬指を怪我し、手術、1日入院。その後1週間毎日リハビリに通い続け、一昨日無事抜糸。経過はお陰様で良好順調。この後は 1週間に2度程のリハビリに通う予定。
幸い宿の方も冬季休業中であったので、心おきなく治療に専念できた。手の怪我は
不 便でや はりしない方がいいに決まっているけれど、これが営業中であったらもっと大変だったはず。そしてこの時間がまた様々な考える時間をくれた と思っている。
コロナ騒ぎにしても元々休業中なので良かったし、大阪行きが無くなっていたことも幸いだった。

何が起ころうと「自分にふりかか る一切は必然にして最善と思うこと」
あらためてこの教えはいつも心が楽になり、日常の中で大いに勇気づけて貰っているなあと思う。

ーおまけー   懐かしい写真


武ちゃん&悦ちゃんちの晃(アキラ)君と元気いっぱいの頃のロコ
丁度今頃の時期、悦ちゃんちに行く時はいつもロコも一緒だった。
この晃君も今年から新社会人に! あゝ時の流れの速さよ!

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