おゆきの日々

  今どきこれって贅沢かもしれない?そんな何気な~生活の日々、そして常識と非常識の逆転もあり?の日々

折々の日誌 >シ ルバー2人春の旅


2016.4.8
〔しばらく留守にしていました〕

 この時期毎年恒例の里帰り旅行へ出かけ、留守中お電話いただいた方にはご迷惑をおかけしましたが、
昨日7日元気に帰ってきました。
関西の中でも弟は大阪の南端、妹は京都の北端という全く離れ離れに住む弟妹を訪ねる、私にとっては年に1度の里帰りを兼ねた楽しい旅行です。
里帰りと言ってもすでに両親は他界していないのですが、弟妹に会えるだけでも、特に妹に会えるのが何より楽しみです。
この歳になると会える時に会っておかないと、とそんな気持ちが年々強くなってくるのも確かで、今年も互いに元気な様子を確認しあえてほっとしました。
 長い道中、大阪に着くまで途中2泊、夫1人の運転なので大変だとは思いますが、付き合ってくれることに感謝です。それにこんな時、運転するにも元気な若い年下夫で良かった!とフフフ・・・

ーさて、
思い出しながらの旅の様子は次回へー

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2016.4.11
〔今年の旅先色々〕
今年の春の訪れは本当に早かったですね。

出発時の小舎バス停の様子、雪がすでに殆ど有りません。
出発時こんなに少ないのは初めて。





走り出して
秋田の海側はこんなに晴れてきて。







新潟のホテルに着いた頃はまた、雪が、、、







そして関西はどこも春!
私たちは大阪に行くと、温かな和歌山には何故か必ずいくようになっています。
夫のいつものお気に入り
道の駅・和歌山県
「紀の川 万葉の里」。


時はすでに春、ここは目の前の広々とした紀ノ川に沿って続く長~い土手を、ゆっくり時間を掛けてウォーキングできるので私も大好きな場所、胸いっぱいの空気を吸って実に気持ちの良いところです。



和歌山、白崎海岸の浜辺は石灰石で眩しいばかりの白さ、海もまッツァオ!
波に洗われ穴のあいた不思議な石を沢山拾ってきました。
石拾い大好きな私。



また和歌山県あら川地区は西日本最大の桃の産地、訪れた日は丁度桃の花が満開!
まさに桃源郷です。青空の下、濃い桃色の花が鮮やかに、いつ行っても早かったり、遅かったりだったので今年はラッキーでした。

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 ※和歌山ではそんな春を味わってきたのに、今日11日の八幡平、この辺では一日中雪が降りしきり・・・完全な夏道になっていた道路は見る見る真っ白に!
寒くて季節が突然真冬に逆戻り、夕方になって10分ほどの間に積雪は簡単に10cmを超えてしまいました。
夕食後、夫は毎週(月)にバンド練習へ出かけるのですが、その時間にザンザンと降り続き夏タイヤに替えたばかりだったので出かけるのが躊躇された位、でも出かけていきましたけれど・・・。

そして同じ今日、盛岡で桜の開花宣言が出ました。例年より20日早く、昨年より2日遅かったそうです。明日の最低予報は氷点下2度だそうで、せっかく咲いた桜も可哀想!
春、国内東西南北全く目まぐるしい変化の天候を味わってしまいますね。

さて、今回の旅は一筆書きで大雑把に書けば大体こんなコースで約2週間。
◎日本海周りで新潟ー福井ー大阪(実家)ー和歌山(白崎海岸、あら川の桃の花)ー大阪(実家)ー京都(仲間宅からドライヴ)ー大阪(実家)ー姫路(太陽公園・姫路城)ー京都(妹宅・丹後半島)ー大阪(実家)ー松本(松本城)ー上田(仲間宅)ー更埴市(杏の花)ー戸隠ー野尻湖ー新潟ー日本海周りで帰宅。

ー次へつづくー

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2016.4.12
〔 京都 市内 〕

京都は何度訪れても素晴らしく、その時々様々な魅力を発揮してくれます。
今回は始めに京都御所の目の前にお住まいの、小舎仲間のお宅を訪ねました。
彼は京都独特の細長く古い町屋にご両親もなくなった今、1人でお住まいです。
以前から宿にしたら!なんてけしかけていたこともありましたが、この度その町屋を町屋カフェに改装することになりました。
人が何気なく集まれる場所にしたい、と夢を語ってくれました。
改装前に元のままのお宅も拝見したかったので、前からお誘い受けていたのですが、今回思い切って誘われるままに嬉しくお邪魔してしまいました。お宅拝見、こういうのって私大好きで興味津々です。実際奥が物凄く深いのですね。

本当に御宅は御所の目の前、ビックリです!
でも今回は御所内はまた次回、ということにして彼の案内で近くへドライヴ。

・龍安寺石庭
春休みだし、外人さんに超人気だし、ここは人人人でごった返し、禅宗も、簡素な石庭、も、あったものではありませんでした。
早々に切り上げて隣り合う庭園へ、ここはゆっくり廻れて桜も見頃で本当にきれいでした。

 

・嵐山(渡月橋)~嵯峨野竹林
ここもまた人人人、でも伸び伸びとした竹林がビッシリと続き、時折風できしみあい空高くカコーンと響きあう音も美しく、どんなに人が多くても奥まで行けばやっぱり素晴らしい。
何度歩いてもなかなか静かな時はなく、ここも人気大の所ですから仕方ありません。
そのまま渡月橋桂川のほとりまで3人でお喋りしながらグルッと一週、ここまでは人ごみはついて来ないのでのんびり歩いて駐車場まで戻り約半日。
山桜、時々新緑に囲まれながらの素晴らしい散策コース、ここも何度でも行きたい所です。

渡月橋の川上

混雑していても必ずほっとできる所がある、それが京都だなあと今回つくずく思いました。
秋頃には完成しているかもしれない仲間の町屋カフェ、来年行くのが楽しみだなあ!

ー次へつづく

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2016.4.15
〔 京都 丹後半島 〕

日にちが前後してしまいますが、京都編にまとめます。

妹夫婦が京都の北、京丹波町に住んでいるので、そこから行ける近場のいいコースをよく案内してもらいます。
今回も義弟の運転で丹後半島一周のドライヴへ連れて行ってもらいましたが、半島の突端、真ん中辺りが通行止めになっていてグルット迂回させられ一周とは行きませんでした。
結構な山の中の道でしたが、思いがけず牧場が現れたり、私的には好きな道でした。
海側へ出るとサンサンと降り注ぐ太陽の下、輝くばかりの青い海原、その美しさに歓声をあげっぱなしでした!

船小屋で有名な伊根の集落前から天橋立は数年前行ったので通過。

バラ寿司「とり松」
お昼は丹後半島の郷土料理、鯖から作ったそぼろを使ったバラ寿司で有名な(そうらしいです)
網野町の「とり松」に案内してくれました。(バラ寿司=チラシ寿司)
しっかり味付けされた鯖そぼろが2段に挟まれ、上には甘めに煮た椎茸やたけのこ、かまぼこ、錦糸玉子、青豆などがきれいに飾られ紅生姜がアクセントに散らされていました。

華やかでとてもきれい!
四角形のまるで可愛いデコレーションケーキのよう。さっぱりとしておいしく、見た目小さく見えますが、意外とボリューム満点、お腹いっぱいになってしまいました!
※(写真を撮らなかったのでお店のHP用から拝借)

昼時だったとは言え、ひっきりなしに続くお客様、私たちは知りませんでしたが人気が高いのですね。
私も鯖缶を使ってたまにそぼろを作ることがあり、この素朴な味を外で食べられるとは思っていなかったので嬉しいお昼でした。

・宇川温泉
昼食後網野町から少し山側に入った宇川温泉へ立ち寄り湯。
自然に囲まれて在るかなり大きい施設で、泊まりやキャンプも出来るようです。
建物は高台にあり、広々とした浴室からは目の前に日本海が大きく青々と望めました。
無色透明で少しトロッと感があり、肌には柔らかですばらしい湯でした。
湯船に浸かっていると、先客の方から「ご姉妹ですか?とってもよく似ておいでだもんで~」と声をかけられました。地元の方でずっとこのお風呂が好きで通っておられるとか。
羨ましい~なあ!
妹と私は6歳も違うのに、未だにどこに行っても知らない人からわざわざ似ているね、とよく声をかけられます。そんなに似ているかな~とお互い思いますが、子供の頃からずっと言われ続けているのでそうなんでしょうね。妹はスラリと背が高く足細く、私は小さくて足太く、見た目タイプは全く違うのにおかしいものですね。

風が冷たい日でしたが、高めの湯温の露天は、顔がのぼせることもなくいつまでも入っていられそうでこれまた何とも言えず最高の気分でした。

子供時代銭湯ではいつも、母と妹と私の3人で背中の流しっこをしたのを懐かしく思い出し、妹が背中を流してくれました。私はお風呂に入っても今でも背中に自由に手が届くので身体を洗うのが苦になりませんが、こんな時は特別で嬉しく流して貰いました。石鹸を使わない私のため、タオルだけでこすってくれましたが、気持ちよかった~!
お返しに私も妹の背中をキュッキュと、「あヽ妹は幸せな人生を歩んで来られて良かったな~」と背中が物語ってくれていたのが本当に嬉しいことでした。

京都と言えば神社仏閣と有名どころがすぐ浮かんできますが、丹後半島と言われてもこれまで同じ京都なのにピンときませんでした。遠い印象の場所でしかなかったのが、今回案内してもらって海あり山あり、旨いもの、いい温泉、なんでもありの素晴らしい所だとつくずく感じ、急に身近になってきました。
義弟はバイクに乗る人ですが、丹後半島はバイクで走るのにはピッタリの大きさ地形で飽きないそうです。夫もここは本当に気に入って感動していましたが、妹たちが京都の奥に住んでくれていたお陰で行けたような感じです。

妹と私は若い頃はよく一緒に旅をし、妹の旦那も同じ旅仲間なので気がおけず、楽しいドライヴとなり2人に心から感謝の一日となりました。

ー次へつづく

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2016.4.18
〔 姫 路 〕
・姫路城
ここは昨年行った時は大混雑で中に入れませんでしたが、今回は少し早めの時間に行ったことと、大修理から2年目になったということで多少楽になっていました。
それでもここもまた世界の民族のるつぼの様に、様々な顔立ちの人々でいっぱい、今、日本はどこへ行っても外人観光客であふれ返っています。

天守閣やら千姫ご一行が休憩された部屋など広い城内をグルグル回りながら見学。
現在から見ると各部屋は実に質素なんですね。室温も相当寒かったに違いないですから衣服も結構厚着だったのかもしれない、などと当時に思いを馳せながら見て回りました。

・好古園
姫路城西御屋敷跡庭園
城に隣接して立派なお庭があり拝見してきました。
 

池泉回遊式の日本庭園で約1万坪もの広さだそうです。時期的にも桜の花や若い木々の芽吹きの色、様子など本当に美しく生憎雨になってきましたが、静かで心洗われる庭園で、姫路城に行かれたら是非ここも行かれることお薦めします。

・太陽公園
 ウィキペディアによると
太陽公園は、兵庫県姫路市の峰相山山麓にあるテーマパーク、世界の石で作られた建造物や遺跡、石像などのレプリカを多数設置した「石のエリア」と、隣接する敷地の山上に建設された山城「白鳥城」をメインとする「城のエリア」に分かれている。とありました。

またここは、身体障害者の人が働くための施設として建てられたので、公園内には障害者のための居住施設や、老人ホームなど多数の建物があり、そのエリヤは公園とは続いていながら分かれています。

始めに山頂にあるドイツの古城をモチーフとした「白鳥城」
モノレールがありましたが、私たちは行きは知らずにエッチラオッチラ足で登りましたがちょっとした登山感覚。すっかり汗をかきいい運動でした。
実際モデルの建物よりわずか縮尺された大きさですが、それでもそそり立つ外観など存在感があり素晴らしい建築物でした。



中は今流行のトリック3Dアートミュージアムになっていて子供さんとなら楽しめるかも知れませんが、私たちは早々に石のエリヤの方に向かいました。(写真は石のエリヤからの遠景)

石のエリヤ


中国兵馬俑(圧巻です!)実寸大で1000体を展示しており、現地の発掘現場を再現しているとか!

兵馬俑
万里の長城、天安門、パリ凱旋門、イースター島のモアイ像、メキシコ、中近東他まさに石、石、石、世界の石で作られた建造物や遺跡、石像などのレプリカが多数設置されています。思わずウッ!とくる程のその規模には驚かされます!が、残念ながら夢の建設中断のまま朽ちてしまっているような所や、その後の点検不十分のような所もありました。


万里の長城を歩く

実際は
2012年6月5日、中国の国家文物局は、万里の長城の公式な総延長は21,196.18kmと発表したとか!しか~しここは当然縮小版、それでも延々2~3km以上はあります。
私たちの今回の旅のキーワードは歩け歩け! で、歩きました。奥まで行けばもう誰も歩いていませんでしたけれど。
途中展望台あり、韓国のお寺あり、遠景で
白鳥城を望めたりとなかなか楽しめるコース、とにかく園内は歩く所なので、運動靴でお越しがベスト、と案内にも書いてあったほど。
私たちにはおあつらえ向きの歩きコース満載の公園でした。

鶏足寺(けいそくじ)
最後に山のてっ辺の方は人の姿は殆どなくなっていましたが、歩け歩けの2人なので上ってしまいました。
するとてっ辺の突き当たりにお寺さんが。それはレプリカではなく本物の日本のお寺さん。
えっ!こんな所に?と思っていると中から住職さんに声をかけられました。
「ようこんな所までおいでなさいました。ま、どうぞ上がって、上がってください。」
どうしようか、と一瞬躊躇しましたが、せっかくここまで来たのだからと、上がらせていただきました。なにせ山のてっ辺なので風の通りのよいこと、しかも広い畳敷きのどこも開けっ放し、汗をかいた身には涼しさを通り越してブルッと寒いほど。

こんな山の上のお寺さんだから、滅多にお参りの人もないだろうからまさか常駐の住職さんなどおいでにはならないだろうと思っていました。
そのことをお伝えすると、やはり普段ならおいでにならないそうです。

お話をお聞きしてみると、その方は比叡山延暦寺横川(よかわ)中堂の阿闍梨さんで、このお寺、鶏足寺と掛け持ちされているそうです。寺の後ろにある広い墓地の管理などたまに境内の掃除や見回りに来られ殆ど午前中はそれに費やしてから帰ってしまうので、夕方までにここにいることは滅多にないそうで、それがたまたま今回は、ということでした。

名前を聞かれ答えると、せっかく来られたのですからお経を上げさせて貰いましょうということになってしまいました。「普段はどんなお経を上げられておいでですか?○○ですか?△△ですか?」と聞かれ「申し訳ありませんが何も」と答え、分からぬままここまで来てしまった事を
正直に伝えると「結構ですよ、これもご縁ですからね」と言われ私たちのために「サ~ト」という箇所だけは判る佐藤家の健康と繁栄を祈る?お経を上げて下さいました。
朗々と響き渡る
お声はさすが!で、何ともありがたい気分になったものです。

ここはなかなか歴史が古く、由緒ある寺だったようですが、事情で荒れ果てていたところを目下再建に力を入れ始めている状態、とのことでした。
寺の祭礼の時は結構信徒さんが大勢上ってくるそうですが、坂道大変だろうな!と思いました。

大変気さくで話好きな阿闍梨さんで、思いがけない場所で楽しく興味深い時を過ごすことができました。

ー次へつづく

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2016.4.20
〔 信 州 〕
・松 本


松本城

・上 田

上田には約20年振りに近い再会となる小舎仲間を訪ねました。
話の発端は、1昨年こられた女性と話している中に、先生、先生と度々出てくる方がありました。
話を聞いている内にその方がどうも私たちの知っている小川さんのように思えました。
今度その方にお会いになったらゆきの小舎のこと知っているか聞いてみて、とお願いしておきましたら、昨年、やはり小川さんだったというお返事をくださいました。
早速今年始め小川さんから、近くに来られることがあれば是非寄って欲しいとの電話を貰い、大阪行きの帰路にお寄りすることになった次第です。

小川さんもう大分前に出版された、当小舎が掲載されている「もう一つの日本地図」という本を見て来られました。
薬になったり食べられたり役に立つ野草にお
互い関心があり、また彼のユニークな生き方が興味深く大いに話が盛り上がり楽しい時を過ごしました。その後何年かして彼から「草楽」という通信届くようになりました。
そしてある年「チベット医学を目指して」というタイトルの文章が載った通信を最後に気がつけば音信が途絶えていました。決して忘れることはない人でしたので、チベットどうしたかなあ?とたまに思い出しながらも雑事の中に埋もれていきました。

そんな数年後に偶然知ることが出来た小川
さんの消息だったのです。

小川さんはその後約10年間チベット医学暦法大学・メンツィカンで学んだ後、チベット社会からチベット医として認められ『僕は日本でたった一人のチベット医になった』(径書房)を出版しています。
現在は
「森のくすり塾」開塾、人と野草の身近かなかかわりを楽しい講座として開いています。畑仕事をし、山で薬草を採取し、薪を作り、講演会の準備をする毎日だそうですが、結構あちこちを飛び回っているようで、特に東京には良く行かれているようです。
彼と再会のきっかけを作ってくれた女性は、この講座をどこかで受講されたのでしょう。それで先生だったのですね。

森のくすり塾   小川 康 さんのHP  大変おもしろいです。

彼の履歴自体がとにかくユニークで面白い!魅力的な方ですから、20年近い空白などなかったかのようにすぐお喋りに突入、延々とよく喋ったなあ、という感じでした。

特に印象に残ったのは、人の身近にある薬草の中ではそんなに多くの種類を使う必要はなく、
キハダ、ヨモギ、ヤナギ程度知っていれば充分かもしれない、という部分でした。(聞き間違いををしていなければ・・・ですが)
ヨモギはだれでも知っているし、山里、郊外ならどこにでもあります。ヤナギは我が家のような場所ならこれまたどこにでも生えてきます。
ヤナギは殊に水分の多い場所にすぐ芽吹きますから、気をつけないと厄介なこともありますが。
キハダは山の中なので誰でも知っているという訳ではありません。
でも昔からお腹の痛い時や打ち身、目薬などに知らないだけでよく使われてきました。

和歌山県天河のキハダを主原料に使った「陀羅尼輔」(だらにすけ)も有名ですが、昔私の子供時代近所に黄膏(きいこう)という軟膏を作っている家があり、結構遠くからも買いに来ていました。やはり有名だったようです。
また富山の薬売りの薬の大半はこのキハダが用いられていて、昔はどこの山にも沢山あった身近な樹木であったそうです。
今このキハダが杉などの植林により危機的に少なくなっているそうで、彼はキハダを増やすためその苗を事ある毎に植林しているのだそうです。

キハダは、3年前
我が家の目の前の川で濁流が橋の上を越える大洪水が起こった時、上流からその大木が根こそぎ流されてきて橋の脇に引っかかっていたことがありました。
私は早速
キハダの皮を丁寧に丸1日もかかってグルリと剥きました。その内側は名前の通り本当に鮮やかな黄色をしていました。
その時はあとで染色に使おうと考えていましたが、お腹の薬にもなるんだっけな、という気持ちでその日のためにと今も保存してあり、私的に気になっていた樹木でした。

内側を見れば確実に判るのですが、何せ流されてくる途中で大分傷つけられて、完全に健康状態で山中に立つ樹皮姿、というと判りません。
小川さんの所でも固い皮の一部分だけは見せて貰いましたが、すでに乾燥してしまっていて判りにくい感じでした。
山中で自分でキハダの木を見つけられるようになるのが今後の私の課題としました。

夕方、すぐ近くに人々が集えて野草に関われる店舗を建設中ということで、その建設予定地を案内していただきました。
神社の隣りというこれまた滅多にない場所、目の前のパノラマは気持ちが伸び伸びさせられる広がり、またこだわりを持った仲間の方たちが建設に加わっていて、建物も若い昔バイクで旅していたという棟梁が資材を刻んでいるところを見せて貰い、これは完成が待たれるな、と私まで楽しみになりました。

奥様もビックリする位大変おきれいで奥ゆかしく、しかもご自分の意見は静かにしっかり伝えられる素晴らしい方でした。4人でのおしゃべりの時間はほんとに楽しくあっという間、思いがけない再会に感謝しつつその日はご好意に甘え泊めていただきました。

・更 埴 市
あとは帰宅へ向かうのみ。
上田を出発して上越市までの道中途中下車、丁度更埴市の杏の花が見ごろの頃ではないかいな、と車を向けるとドンピシャ!今年は大当たり!。
市の条例でもあるのかどこのお宅の庭にも杏の花があり、和歌山の桃も良かったけれどこの杏の花もまた優劣つけがたし。高台から眺めると、桃より少し淡いピンクの優しい霞に町全体が包まれているようで、夢のようでした。

・戸 隠 
お昼は戸隠そばを戴いてから、奥社にはまだ行ったことがなかったのでそこを目指しました。
生憎参道の半分位はまだ雪でしたが、歩ける所まで行ってみました。
参道の両側には雪解けの小さな小川が流れ、真ん中の通り道は所々雪で足を取られそうになる場所もあり、グチャグチャ、ヨロヨロの進み具合。
行きつけたのは杉の大木が両側に並ぶ奥社の門の入り口までで約2k程。



真っ直ぐ山のご神体へ向かう趣のある
参道両側の林の中は雪が融けたら様々な花が咲き乱れるであろうそんな雰囲気、その季節に歩いてみたくなりました。
そこで仰ぎ見た目前の戸隠山の存在感に
思わず圧倒されてしまいました。
若い頃スキーでも行ったし、その後も行ったにも関わらずこんなに近々と仰ぎ見たことがなかった気がします。戻る道すがら興奮状態に近く、戸隠の奥深さ、まだまだという感を受けました。

先にも書いたように、今回の旅では出来る限り歩こうと決めてきたので、ここでも約1時間程の歩きが出来、いい旅の締めくくりとすることが出来ました。
早い春の訪れのお陰で、今年は梅、桃、杏、こぶし、桜と様々な花を堪能することが出来、いつになく花を楽しめた
となりラッキーでした。

こうして今年もシ ルバー2人春の旅、無事終了しました。

帰宅すると例年ならまだ50㎝は残っている筈の畑の雪が今年はナント、全くなし!隅には多少残っているとは言え、こんなことは今までありませんでした。
庭や畑作業が例年より早まりそうです。と同時に連休小舎明けの準備もしていかなければ、東北の春、今年はどんな風に訪れるのでしょうか?


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