おゆきの日々

 秋田・八幡平の山懐で: 

折々の日誌 あれから6年、そしてもう1つ


2017.3.11

 ◎2011 3/11()・・・積雪10㎝ 午前中晴れ寒い  昼からまた雪、郁男除雪
           
  2:46分 東北関東大地震発生(三陸沿岸)  続いて巨大津波発生
             
(後に東日本大震災と名称替わる) 

            広範囲の停電、断水、電池でラジオの情報をきく、灯りはローソク、暖房は薪ストーブをやめ、
            反射式灯油ストーブのみにする
    
 3/12()・・・曇り
         
   ・マグニチュウド9.0!・ここは震度5位だった
                  ・停電続く、 余震続くので貴重品をまとめ居間に寝る

     3/13(
)・・・曇り
                                 ・昨夜遅く通電 電話、メールも通じるようになる
                                 ・初めてテレビ画面をみる 未曾有の大災害、津波は
1020mもの高さまできた模様 幾つもの町            が壊滅状態 死者は万を越す単位?
                        ◎地震により福島の原発爆発事故発生
                                 ・どこも灯油、ガソリン不足続く

                3/14(
)・・・晴れ曇り 暖か                               
                                   ・ニュースはずっと地震災害状況、原発事故関係

            ・安否を気遣っての電話、メールを沢山頂
                                   ・一日中パソコンから仲間達に無事を知らせる連絡

                3/15(
)・・・晴れ曇り
                                 
・原発事故修理を試みているが思うようにいかず、次々123号基とも故障
                                  ・福島第
1原発、半径102030k圏内と広げつつ  周囲の住民避難させられ始めている
                                   ・灯油、ガソリン不足が広がり物資も送れず様々な支障が起きている
        
3/16()・・・雪 本格的な降り方で悦っちゃ号出動
                                   ・寒さがぶり返し避難所生活者困難を極める

                                   ・不足品=灯油、ガソリン、食料品、医療品、衛生用品、病院施設      
                                   ・物資は多く集まっているが、燃料不足で必要な場所に送れない状態      

                                   ・電力不足を回避するため各都市で計画停電開始
(輪番)

                                  (※地震、事故に関する記事のみ記載)

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 あれから6年、本当に早い。
上記は地震発生当日から数日の分を停電が回復してからすぐに記録した2011年の日記。6年後の今日また3/11のこの同じ日を迎へ、改めて思い返し眺めてみた。
あの年の3月は寒い日が続いていたと思うが、今年は雪ばかりは止まずに続いている割には、比較的温かな日が多くてありがたい。

 秋田県は東北の中では直接的な被害が殆んどなかった。それでも直接被害を受けられた方達からすれば比較にもならないと思うけれど、電気や灯油、ガソリン不足などのインフラ問題と、観光への風評被害は痛手だった。
原発事故に関しては初体験の問題ゆえ想像すらつかず、当初は現代の日本ならあらゆる人智を集め必ずや多少の時間はかかっても解決出来るものと信じていた。
けれど私の考えはつくずく甘かったと思わざるを得ず、年月だけはどんどん過ぎていくのにその後の復興状況を見れば、何とも歯がゆい思いがつのるばかり。
先が見えない不透明な状況は多方面へも広がり続け、今これが世の中に不安感を抱かせているのではないかと思う。

「すでに関東~東北は人の住める状況ではない」、「いや、東京の方がもっとヒドイ」、「どこへ逃げても同じこと」、「6年間ばらまき続けられた放射能は空気中に充満している」、正しい被曝対策も知らず、知らされず「放射能を吸い続けた内部被爆は治せない」、等々様々な言葉がとびかっている。
かと思えば反対に「放射能は大丈夫、福島の食材も買って応援・食べて安心」、「アンダー・コントロール」と安心させオリンピックを招致したり、凄いものになると「放射線は身体にいい」という意見まで飛び出す。
私たち国民は一切真実を告げられないまま、あらゆる情報が錯綜し、言い知れない不安に拍車がかかっているような感じもするけれど、また今の世の中の状況を何も把握していない人々が多くいるのも確かなようで、それもまた気になるところ。

あふれる情報の中から何を選び、何をすてるか、自分の感性で決めるしかないけれど、それをしっかり出来るほどの自信を私ももっている訳ではないので、色々迷ってしまうことの方が多い。
そうした混沌とした状況下で世の中は益々おかしくなり、人々の心も歪み荒廃し、人を信じられなくなっていくのも当然のように、かつて聞いたこともないような事件も頻発している。

 ここ雪に囲まれた世界は本当に静かで美しい。
真冬は主に水墨画のような白と黒の濃淡の、地味な景色が見えるだけだけれどとても落ち着く。
こんな山奥の深い雪に埋もれていると、静まり返った中から何ごとにも煩わされることなく必要なものだけがあぶり出されてくるように、距離をおいているからこそ都会では見えないものも見えてくることがあるのではないかと思うことがある。

 最近になって木々の新芽がふくらみ、柔らかな赤や黄色みを帯びて梢の先端を色づかせて来ているのが目に付くようになった。
水墨画の世界にも微妙な変化が起き、淡いけれど優しい挿し色が広がり始めると、あゝ春はもうすぐ、といつも同じことを期待してしまう。
私はやっぱり甘いのかも知れないけれど、いつか必ず春は来るものと信じたいし、信じている方が心が安らぐ。
その代わり人や行政に頼るばかりではなく、自分のことは自分で守る、ということを徹底してやっていくことが必用だと思う。健康を保つこと、食事のとり方、物事の捉え方どれをとっても大切なことだらけ、これからは更に意識をもって当たっていかなければと思う。

 私にとって東日本大震災と並ぶもう1つの大きな出来ごとは東京大空襲でもある。
(私の過去ブログ2015/3/10 東京大空襲の日に 
私の人間として生を受けたこの世界の記憶の始まりは、空襲の空の下を逃げまどっていたことからなので、どうしてもそれを外すことは出来ない。
東京大空襲は3/10、東日本大震災は3/11、と続く大切な2日間のことだけれど、昨日3/10のニュースの中で東京大空襲の事がただの一つも触れられたものがなかったことに愕いた。
昨年までは小さくても幾つかは見られたものであったのに、今年は東日本大震災一辺倒であった。
関東周辺だけでも放送されたのだろうか?こうして70数年前の大きな悲劇も、人々の脳裏から消されていってしまうのではないかと大変気になる。

 明日は満月、今夜の月も殊の外美しく輝いている。
煌々と冴え渡るその月に負けずに明るく輝いている大きな星が、月の左下に幾つか見える。どんな時でも世の中は平和であってほしいと願わずにはいられない。


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