おゆきの日々

 秋田・八幡平の山懐で: 

折々の日誌  日本海沖地震から34年


2017.5.26


 窓の外は緑、緑、緑、そして八幡平は今、つつじの美しい季節を迎えています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 34年前の今日、日本海沖を大きな地震が襲った。
死者は子供さんを含む200名近くであったようだが、秋田の海岸に遠足に来ていた大勢の子供さんが津波にさらわれるという痛ましい出来事だった。
2011.3.11の大惨状に隠れて陰が薄くなってしまっている地震だけれど、秋田の人々にとってはやはり忘れられない大きな災害であった。
私たちにとってもはっきりとその日にちを覚えている。
これは悲しい思いでとは異なるけれど、決して忘れられない状況であったから。

 その前年の10月31日、7年と数ヶ月営業したトロコに於けるゆきの小舎を閉館し、そのすぐ翌日に
役所に婚姻届を提出して、私はその前年に知り合った地元の男性と結婚した。
丁度大開発を契機に立ち退きの騒ぎの中で移転を決意、トロコでの営業に別れを告げ、新しい小舎をそこから少し下がった場所に移転新築することになった。
年も開けた冬の間は、地元の当時夫の住んでいた部屋で世話になり建物の完成を待つことにした。
雪国なので着工は雪融けを待って3月中旬から始まり、5月の中旬になってやっと
完成の日を迎えた。
そして新しい建物へ夫の部屋や夫の実家に預けていた旧小舎の荷物を、せっせと全部運び終えた。

 旧小舎の営業はたった7年余だったのに、荷物は知らない内に結構増えていたもんだとびっくりする位の量、それらをうず高く積み上げたあと、
花輪まで新営業に向けての買い物に出かけた。
当時夫はまだ
花輪駅前で喫茶店をしており、小舎のことの方は前からの仲間が手伝ってくれていて、その日もその彼と一緒に買い物に下りた。
スーパーで買い物を一通りすませレジへ並ぼうとした丁度その時、グラグラグラ~!!かなり大きい!
棚の商品がバタバタと倒れ落ちていく。
店内にいた客の全てがカゴを持ったまま外に飛び出し、大きく揺れている様子を不安な思いで眺めながら落ち着くのを待った。カゴには商品がいっぱいの人も多かった。
随分長かったように思うけれど、実際揺れていたのは数秒なのか、とにかく揺れが落ちつくとみなホッとして店内に戻り整然とレジの前に並んでいった。
勿論私たちも同様だったけれど、誰一人カゴを持ったまま逃走なんてした人はいなかった。
当然のことだけれど、ドサクサの中でそうしてしまった人がいても不思議ではなかった状況でもあったのに、それはなかった。そのことが何となく
改めて嬉しくなり、外国だったらどうだったんだろう?とふと思ってしまった。

 家に積んでおいた沢山の荷物がどうなっているか心配で帰宅してみると、なんと何一つビクとも動いた気配はなく本当に安堵した。
後日
談だけれど、その時店にいた夫も外に出たところ、目の前の電柱がグラグラと左右に大きく揺れていたそうだし、近所の子に聞いて見ると、その子の家はこんな風に揺れて凄かったよ、と手で波の動く型をしてくれ怖かったそうだ。
その話を家を設計してくれた夫の兄に話すと大喜び、最近の華奢な家では余り入っていないという昔風のしっかりとした筋交い(すじかい)を入れたのが功を奏したのではないか、とのことだった。
彼の設計者としての家のいいデータが地震のお陰で早々に出た訳だ。
そして地盤もきっと固くしっかりしていて良かったのではないかと言われ、共にありがたく思った。

 津波の怖さを知ったのも身近だったこの地震からであったし、我が家の丈夫さを確かに感じられた

日でもあり、そこから今度は私たち2人で運営する新ゆきの小舎が始まり34年目になったという決して忘れることはない日なのである。
そしてこの
夏8/11には、ゆきの小舎新旧併せて通算42年目を迎える。


                                   
↑ PAGE TOP


折々の日誌 > 次へ  日本海沖地震から34年  前へ