おゆきの日々

 秋田・八幡平の山懐で: 

折々の日誌 おゆきの東京2泊3日


2017.11.20

 この16日~18日の2泊3日で1人で東京へ行ってきた。
短かったけれど充実したその記録を少し綴ってみることにした。

ー生まれ育った場所を歩き回るー
 弟は大阪に、妹は京都にと、みな関西に住むようになって以来、用事のなくなった東京にはとんと行かなくなってしまった。一体何年ぶりになるだろ う?20年近くになるかも知れない。

 宿の営業が終わって畑の片付けの目途もついてホッとする頃、そんな時期に妹から女子高のクラス会で上京することを知らされた。同窓だが、6歳違 うので 一緒に通ったことはない。
昔はどこへ行くにも、何をするにも一緒の姉妹だったのが今は遠く離れめったに会えない。
年に1度の大阪行き(実家)で会うのを楽しみにしていたのに、今年の春は恒例の大阪行きをしなかったので妹たちに会っていない、こんな時こそと中 間の東京で会うことにした。

 出発の朝はまた雪だった。この頃にどこかへ出かけようとすると大概はこんなことが多い。
それでも高速バスも新幹線も順調に走ってくれ無事東京駅に到着、関西からと東北からと殆ど似たような時間に着けたので待つこともなく幸いだった。
丸の内北口で集合。そこには妹の3男坊で末っ子の甥っ子も一緒にいて嬉しい再会ができた。
駅構内で昼食をすませた後、丸の内北口から出て中央郵便局~新装なった東京駅、新丸ビル、その向かいの角にあるかつての我が職場であった三菱ビ ルをゆっくりと眺め、懐かしさで胸がいっぱいになった。

 それからまずは荷物だけでも預かって貰おうと予約の宿に向かった。ホテルは東京駅からは2つ目の「馬喰町駅」下車、そこから歩いて4~5分とい う場所だった。
私達兄弟姉妹4人みなこの馬喰町で生まれ育ち、そこから巣立った。ホテルへ着くまでどうせなら、生まれ育った家の跡やその近辺をグルグル訪ね歩き ながら遠回りして行こうということになった。
あの当時あった沢山の子供たちの声は今、全くない。高く高く林立するビルばかりとなり、一変してしまった異空間に紛れ込んだようで余りの変わりよ うに声も出ない程だった。
そんな中に建て替えられてはいても薬屋さんや中華屋さんなど元のままの場所にある建物を見つけては、妹と2人懐かしさと嬉しさで興奮の連続だっ た。
また知り合いだった家の辺りにもはや何の痕跡も見つけられないと、2人でがっかりと寂しさも味わったりした。
一喜一憂の今浦島の2人に、甥っ子は「へ~、へ~、」と面白そうに付き合ってくれていた。

 浅草、浅草橋、馬喰町、横山町、東神田一帯はすっかり様変わりして清潔な格安ホテルが増えていた。商業地区なので需要が増えたのだろう。
また最近ではゲストハウスも目立つほど多くなって、こんな所まで外人さんも多く来ている。
大きく見ればやはり問屋街には違いないけれど、昔は家族ぐるみで住んでいたその企業の規模の拡大で、建物もみな昔より超大型になった。そしてその 家族は郊外に移っていったのか。

 横山町のセルロイドの裁縫箱などを扱う小さな小間物屋さんから始まった海渡さんは、その後どんどん店を大きくし、「エトワール海渡」となって服 飾品を中心に扱う会員制商社の走りとなった会社。
横山町から始まって馬喰町、東神田とグングン社屋を増やし拡張して、一帯はまるで海渡町と言われてもいいように海渡さんのビルが囲んでいってい る。
私達姉妹が東京を離れる頃から始まっていたそのスピードが、更に加速されていたように、どこを歩いていても海渡さんのビルがそびえているのが目に 付いた。
長く続く安定した安倍政権の反映なのかどうかは判らないけれど、街には活気が感じられた。

 私達が泊ったのは「コンフォートホテル東京東神田」という出来てから比較的新しい所。
数メートル先には当時の建物よりずっと立派になっていた「龍角散本舗」本社社屋がある。
(余談になるが、ここの薬=龍角散の材料になるカモミールは秋田で栽培されていて、会社発祥の地だと聞いている)
ホテルは到着してから気が付いたが、小学校時代の親友のご実家のあった2~3軒隣の位置で驚いた。元がどこいら辺だったのか、余程元々地理に興味 がないと判らなくなってしまう。
私は地図を見るのが好きでよく見ているので、何となく感で判る気がするのだけれど、何しろ余り何もかも変わってしまったので、 「ま~ったく判らない!」という妹の気持ちもよく判る。

 早めに着いて荷物を預かって貰って約2時頃、さてこれからどうするか、3人で色々考えた。

 ー続くー

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