おゆきの日々

 今どきこれって贅沢かもしれない?そんな何気な~い生活の日々、 そして常識と非常識の逆転もあり?の日々

癌から復活物語 >その1 異変を感じる


はっきりとがん(癌)だと判ったまさに平成元年(がんねん)、ここから夫と私のこれまでの生き方、常識を根底からくつがえす価値観の変換をせまられることになりました。
それは東洋医学系の断食の一種である「粉ミルク断食」に出 会ったこと、この生き方を選んだことから、私たち夫婦のこれまでの価値観がことごとく崩れ去る新たな人生が始まりました。
今まで常識と思っていたことが実はその間逆にあったということなど、自然に本当の姿が見えるようになっていきました。

現在辛い思いの最中の方には不謹慎と思われるかもしれませんが、私にとっては、楽しかった、という記憶の方が多く、病(やまい)は師匠!とまで思える、やまい乗り越え記録です。
これでいいんだ、と思うと少しも辛いものではなく、ここではそんな詳細を順を追ってお伝えしたいと思います。こんな選択もあるということ、その中から何か一つでもお心に残りお役に立てれば嬉しく思います。

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1〔異変を感じる〕

昭和63年秋も終盤の11月、宿の今期営業を無事終えると、毎年越冬準備に執りかかる前に3週間ほどの里帰り旅行をしていました。


その旅行からの帰り近くなった数日前あたりから、妙にお腹から下腹部周辺に引き付けるような痛みが出始め異変を感じていました。 道中だましだましで何とか帰宅しましたが、それ以後お腹もパンパンに張って痛みはどんどん強くなるばかり。

お腹が余りにも苦しいので普段のスカートやズボンははけず、マタニティーみたいにゆるいジャンパースカートをはいていました。
小用をたすと整理の時期でもないのに不正出血が下りるようになり、おかしいな、と感じるようになっていました。

年は明けて正月の賑わいの後、残った2人のお客様を十和田湖へご案内したのですが、その時はもう痛くてお腹を抱えながら歩いている始末。
当時は冬の営業も含め一年を通しずっと営業をしていました。予約がある内はと、伸ばし伸ばしになっていましたが、どうにか落ち着きやはり一度は ちゃんと診て貰おうと決心した頃、季節はもう3月に入っていました。

地元の病院でお腹の異常な痛みと不正出血の簡単な自覚症状を告げると、「もう乱れる年齢でしょう、更年期障害かも」とのこと!「え~ッ!?」
素人でもこれはそんなことではない、と感じられる症状なので医師の言葉に驚きました。
そして簡単な検査から出た数値が異常に高い、と今度は私には大げさに見えるほどに担当の医師に驚かれました。

その時は怖い、というより何故か不思議ながらとうとう来たか!という感じで、駐車場で待つ夫の元に行き「ちょっと覚悟してもらっておいた方がいい かも 知れない」と医師の元へ行って話を聞いてくれるよう伝えました。

その後様々な検査を受け、子宮筋腫子宮内膜症かと思われるが確かなことはこの後の検査結果によるということで、その検査には1ヶ月はかかる と言われました。

待つ間も痛みは更に強まり、下りる血液の量も増えてきて気味悪くもなってきましたし、普段の生活も落ち着きません。

やっぱりおかしい、誰が考えても尋常ではないという思いでこのままただ1ヶ月は待っていられない、と夫とも相談の上、思い切って隣の市の病院でもう一度診て貰うことにしたのでした。

〔2件目の病院〕につづく



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