おゆきの日々

 今どきこれって贅沢かもしれない?そんな何気な~い生活の日々、 そして常識と非常識の逆転もあり?の日々


癌から復活物語 >その16 癌になった意味


16〔癌になった意味〕

粉ミルク断食から玄米の普通食への切り替え、これを機に食べ物への向い方もどんどん変化していきました。

治療室で学んだことはこれまでの常識を丸ごと屈返すものでした。
この病を得たことをきっかけに、医学の世界だけではなく様々な分野に於けるこれまで非常識とされていた世界へ2人揃って目が開かれていきました。するとおもしろいようにその世界の情報が飛び込んでくるようになり、それによってまた多くの学びを得るようになりました。

私は何で癌になったのだろう?と考えてみました。
治療室で最初に先生に診ていただいた時、横になって足を揃えて伸ばすとわずかながら長さがずれていました。ヒョコヒョコ歩く癖があるね、と言われていましたが自分では全く気付かずにきていたことでした。骨盤が非常に狭い上に股関節がずれた足の長さの違いから来るゆがみなどで内臓が圧迫され血の流れが悪くなっていたそうで、強い便秘もそれが原因の一つでもあったようです。
小さな時から貧血で、足首、手首、首首(こんな言葉あるかな?)が本当に弱かった上、心臓も丈夫ではなかったので、そんなこともあってか運動苦手の子供でした。(遊びで動くのは大好きでしたが)それが長い間に更に積み重なって行ったのかもしれません。

更に振り返ると、宿をやるようになって山の中での女1人の生活は、自分でも気付かないほど強く気を張っていたのだと思います。お客様が男性お1人の時は特にそうです。
男性も食事時になって初めて女一人だけの宿だったと気付く方もあり、彼の方も気を遣われたと思います。私も食事を向かい合って一緒にとる時は、おかしな状況にならないよう気楽な様子で会話の内容も選びながら気を遣っていました。

こうして書いてみると大そうな状態だったように思われるでしょうが、その頃は女だからと舐められないように、身に危険が及ばないように、最低限会話や態度に注意を払ってはいましたが、それ程気を遣っていたという意識はありませんでした。幸いにもいい方ばかりで怖い思いや体験は一つもなく過ごしてこられ、むしろ楽しかった思い出ばかりだったように思います。
今思うと全くお陰様で、と言う他ありません。

それが思いがけず結婚して数年、仲間達に会う毎に「昔はもうちょっと怖い顔をしていたけど、最近随分変わったね、柔らかくなったみたい」とよく言われるようになりました。
確かに張り詰めていた緊張がドバーっと外れてしまったような状態になり、頼れる相手の存在があるということは、こんなにも楽なものかと感じるようになっていました。

一方結婚して数年間、元々独り身の生活が長かった者同士が一緒になったので、考え方もやり方も全て違っていた2人、何をするにもぶつかりあい、喧嘩ばかりしていました。
楽は楽になったのですが、時には独り身の時の方がよかったとさえ思うこともありました。

そんな時に襲ってきた病魔、都会より緑濃く空気が澄んだ最高の環境にいたことは、生来の私の身体にとってはいいことでしたが、それ以上に大きかったそれまでに蓄積された身体と神経の疲れが、気持ちのゆるみで開放された瞬間、一気に襲ってきたのではないかと思います。
それは結婚7年目にやってきたのです。

世間では7年目の浮気とか、そろそろ2人の生活にも慣れ、緊張感も薄れて来る頃です。
丁度そんな時に襲ってきた病によって、共に向き合うことになった2人の結びつきは、これまでとは格段の差で強まりました。以来様々な世の中の真実に気付かされることになり、これこそが大切な「癌になった意味」だったのではないでしょうか。
病気は本当に素晴らしい気付きのご褒美だとつくづく思いました。

癌などの病気は生まれつきの身体の不具合の他ストレス、環境、生活習慣、食生活の乱れ、心の持ち方などによることが原因とされています。長い間に溜まったこれらのことをじっくり探りだし、気付いて受け入れられた時に治るとも聞きました。
そう考えると病は、怖いものでも憎い敵でもなく、気付きのために天から与えられた大切なものであり、ゆっくり休めと与えられた時間でもあったと考えると、ありがたく素直に受け入れることが出来ました。

17〔現在の日々、玄米豆乳ヨーグルト〕につづく



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