癌から復活物語 >その4 夫の決断
4〔夫の決断〕
その頃は今のようなIN環境などまるで整っていなかった時代です。
日夜癌治療に関する様々な本を読み漁り、その中で「丸山ワクチン」に目がとまりました。当時その名前はすでに西洋医学に見捨てられた人々の間ではよく知られる存在になっていました。
夫は私の弟に私の状態、その後の自分の考えなど全てを話し、こまめに連絡を取りあっていました。幸いにも弟はこういう方面には詳しい方でしたので、早くに理解をしてくれていました。
まずは「丸山ワクチン」でいってみよう、ということで話はまとまったようですが、それを医師に伝えることが問題でした。
やはり「そんな馬鹿なことやめなさい」とお決まり通りだったようです。
それでもそうしたいと言われるなら無理に引き止めることは出来ない。だが自分の元では毎回そのワクチンを打ってあげることは出来ないので、誰か他の医師に頼んで欲しいと言われたようです。
ありがたいことに地元の古い知り合いの医師に頼んでみたところ、快く引き受けて貰えました。
でも「そんなことで治せるかなあ?」の表情はやっぱりされたようでした。
とにかく話は決まり、夫はその説明会があるという東京へ向い弟と落ち合いました。
丸山ワクチン使用に対する説明を聞き終えてから、抗がん剤と併用しなければならない、という部分があったことに引っかかり、あゝこれも何か違う、と違和感を覚えたようです。
この間のことは入院中の私には全て隠密裏に運ばれていたことです。
いつも来てくれる病室にその日は来られないから、とだけは聞かされていました。
その頃東京で「東京医科大学」で「丸山ワクチン」の説明に納得できなかった2人は、一種の希望を絶たれてしまった状態になりました。
さてどうするか?思案にくれている時、他のことも調べてくれていた弟にこんなものがあるんだが、と加藤清著「粉ミルク断食療法」という本を見せられました。
まさか粉ミル クで?と正直受け入れにくかったようですが、すでに夫が帰宅する新幹線の時間も近づいていました。
もう藁をもつかむ思いで帰るのはその治療室で説明を聞いてからでもよいのでは、ということになり当時池袋にあった「自然治癒増進協会」という所へ見学させて頂きたい旨の電話をし、了解を得てタクシーをとばしました。
夕方5時までの時間ギリギリの短い見学時間ではありましたが、快く応対して下さったスタッフの方の簡潔な説明はとても説得力がありました。またその治療室に於ける末期癌である筈の患者さんたちの明るいご様子、全体に漂う雰囲気などから、ここなら大丈夫かもしれないと思え、これはもしかしたら新しい世界で、賭けてみてもよいのではないか、と直感的に感じることが出来たのだそうです。
治療室で作家の「三浦綾子さん」のコメントが載ったパンフレットや複数のパンフレットを頂き、弟からも譲り受けた「癌治療」の本を帰路の新幹線の中で穴の開くほど見つめ、一気に読み上げてきたそうです。
そうして完全にこれに賭けてみよう、という決断をして帰り着きました。
翌日病室にやってきた夫は、「病院を出よう、すぐ出よう!」と私の目をパチクリさせ戸惑わせてくれたのです。
〔病院にて〕につづく