おゆきの日々

 今どきこれって贅沢かもしれない?そんな何気な~い生活の日々、 そして常識と非常識の逆転もあり?の日々

癌から復活物語 >その5 病院にて


5〔病院にて〕

手術後の私は2週間後の抜糸の日まで、細かな経過をチェックされる日々を送っていました。

経過は良好で、殆んどの人が文句を言いながら残しがちにしてしまう3度の病院食もおいしくて
きちんと完食していました。
とにかく毎日調子よく、横になっているだけでは退屈で、ベッドから起き上がれるようになった頃から、帰宅後のことも考え少し身体を動かしておかなければ、と運動をし始めました。
病院内の階段を下りたり上ったり、長い廊下を行ったり来たり、広い建物でしたのでゆっくり歩
けばかなりの時間がかかりましたが、毎日元気に歩いていました。

抜糸予定日の10日前頃から、毎日の回診のたび医師から気分は悪くありませんか?と聞かれるようになっていましたが、ハイ、変わりありません、調子いいです!と調子よく答えていました。

それがある日、いつものように散歩に行こうと起き上がろうとすると、動けません。
何が起きたのか解りませんでした。ムカムカと急に吐きけは催すし頭は痛くなるし、昨日までの元気な私がいなくなりました。
その日の回診で「あゝきましたか」と言われましたが、意味が解らずじまいでした。

後に、急に気分が悪くなったのは、開腹部分を閉める時に抗がん剤を入れたことによる影響が、数日後に現れたため、ということを知りました。
大した量ではなかったようですが、それでもあの突然の身体の変わりよう、本当に恐ろしい物だと感じました。

それまで同じ病室のお仲間の殆んどが「子宮内膜症」か「卵巣腫瘍」と自分の病名を聞かされていたようですが、私にはそれがありませんでした。
ある日看護婦(現、看護士)さんに「ところで私の病名はなんですか?」と尋ねると、看護婦さんは慌てて「エッ先生に直接聞いて下さい」と逃げられてしまいました。
当時癌病棟が満杯で、私は婦人科病棟に入れられていたようです。

この時点で、もしかして、と普通は感じるよ、と後になって散々からかわれる事になりますが、のんきな私は「そうですか」でその後は大して気にすることもありませんでした。

気分の悪さはそれ程ひどくはならず助かりましたが、その前から出始めていた手術の傷の痛みが、夜になると耐えられなくなる時もありました。
現代医療に対して全く無知だった私は、座薬の害の強さ怖さも解らず、度重なるとつい痛み止めの座薬を使用してしまう事もよくありました。

それでもずっと病室に居ると面倒くさいから、と何もかまわない方もいましたが、私は「病人臭く」なるのが嫌で毎朝の洗顔、整髪、身の回りはいつもきちんとすることを心がけていました。また普段なかなか出来なかった長編小説を読んだりしながら、気分だけでもしゃんとして楽しく過ごしていました。(その時読んでいた長編小説=トーマスマン著「魔の山」)

そのような状態であった抜糸予定日数日前、東京から帰宅した夫が突然「病院をすぐ出よう!」といって病室に入ってきたのですから「エッナニ???」の私でした。

彼は大分興奮していたようですが、まずは抜糸を待ってからということに落ち着き、面会に来られなかった間、上京していたことを色々話してくれました。
私がのんきに過ごしている間、彼は真剣に考え必死に動き回っていてくれたのでした。

〔病院を出るまで〕につづく


癌から復活物語 >その5 病院にて




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