おゆきの日々

 今どきこれって贅沢かもしれない?そんな何気な~い生活の日々、 そして常識と非常識の逆転もあり?の日々

癌から復活物語 >その6 病院を出るまで


6〔病院を出るまで〕

夫の留守中、私は医師の前に呼ばれていました。
そこで現在の状態をみて、健康な体質であることを「白」、最も悪い癌体質を「黒」とし5段階に分けた場合、あなたの今は限りなく黒に近い~4~の状態にあると教えられました。
そして「今ご主人はこの病院からあなたを出し、東洋医学の免疫療法という方面で体質改善を図らせたいと仰っています。あなたはこのまま私に任せて下さるか、それともご主人の言われる方をとられるか、どちらを選ぶかはあなたにお任せします」と言われました。

これは病院を出す時の私への説明をどのようにしたらよいかを、夫が医師に相談した上での医師から頂いた言葉だったそうです。深く詮索はしませんでしたが、とうとう病名は告げられないまま、自分は限りなく癌体質であるというふうに受け入れた私でした。

東京から帰宅した夫は三浦綾子さんのコメントが載ったパンフレットを私に手渡し、癌体質を改善するためにいい所があるからここに行こう、というのです。
パンフレットを見た途端「あゝ、これ私しってる!」と思わず声が出たほどでした。
不思議な巡り合わせでした。

かなり昔、マスコミを賑わす一つの報道事件がありました。
「薬も何も与えず、粉ミルクだけで癌を治すいかがわしい治療室」として捜査の手が入ったのです。そんな記事に興味をもち、連日の新聞報道をたまたま私は見ていたのです。
この療法で治っていった多くの元患者さんからも嘆願書が提出されていること、押収したカルテからも金品目当てを臭わせるようなものの一つも出てこなかったこと、などが次々に報じられていきました。

その中に大好きな作家の「三浦綾子さん」が支持のコメントをされているのを見つけ、このような方が支持されているのならきっとそれなりの理由がある筈、と感じていました。
その後事件は、西洋医師の免許を持たない治療士が勝手に病気の診断を下した、という医師法違反の罪で10万円の罰金ということで解決していました。

病気は病院で、が当然と考えていた当時の私には、病院以外にも病を治す治療室と言う存在があることを知り、強く印象に残った事件だったのです。
まさか後年自分がそこに行くことになるとは知らず、忘れていた事で驚きました。
「三浦綾子さん」の存在は大きかったと思いますが、これも縁でしょうか、そんなことがあって「ウン、行く!」と私は夫の勧めに即答でした。

こうして私は夫の勧める意見を選び、抜糸を待って病院を出ることに決まりました。
その時医師は「万一自分の妻や娘が治療に見放されたら、もしかしたら、あなた達と同じ道を選ぶかも知れない」とつぶやかれました。

この医師は夫の求める何回もの面談にも、お忙しい中いつも時間をさいて快く話を聞いて下さったそうです。本当に病院を去る最後には「どうしても困った時はいつでも戻ってきてください」とまで言って下さったそうで、人間味あふれる素晴らしい方に担当して頂けたことを心からありがたく感謝しました。

退院し家に戻ったのが4月も末近く、すでにゴールデンウィーク突入直前でした。
治療を受けるにはお金も掛かることだし、とこの期間に大仕事をこなしてから東京へ出発することにしました。
期間中は大阪から弟夫婦も手伝いに駆けつけてくれました。
他にも1人仲間のお手伝いを頼み、今とは違って身動きもできないような連日超満員のお客様の中、まだ傷痕の痛むお腹を抱えながら厨房の采配、調理、受付仕事をこなしていきました。

〔東京の治療室〕につづく



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