おゆきの日々

 今どきこれって贅沢かもしれない?そんな何気な~い生活の日々、 そして常識と非常識の逆転もあり?の日々

昔の八幡平・YH >ゆきの小舎ー4


2011/01/20 Thu 15:31

・その7 ゆきの小舎ー4
S57/10/31日、トロコでの7年3ヶ月の営業を無事終了しました。
同時にその前年ヒョンな事から知り合った地元の青年と、その翌日の11/1日に入籍結婚し、私は長かった独身とも別れを告げました。

別荘地建設に伴い立ち退きを余儀なくされましたが、自分達でようやく探したトロコより少し下りた現在の地へ、新築移転することができました。
新しい宿はS58/6月から2人でオープンとなりましたが、こちらでは簡単に電話が取り付けられました。

新小舎で2人で初めて迎えたその年の冬は、S38年に続くS58豪雪とまで言われた現在では考えられない凄い雪の量でした。以後3年位は大雪の年が続き、今思うと随分鍛えられました。
玄関を開けた途端迫ってきた胸を越す大雪、外へ出るにも大仕事。

5~60m先のいつもの橋の方へ向かうと、その橋がない?良く見ると橋ははるか眼下!橋のたもとの足元の位置は地形の関係で吹き溜まりとなり積雪は3m近く、橋に下りる事すら怖かった位でした。上下空間の橋の上は、風が舞って雪はあまり積もらないのです。

最初の3年間、まだ現在のように市の除雪車には来て貰えず、秋の内に春までの米、味噌、醤油、灯油などの重い物を沢山買い込み越冬体制をとっていました。
それでも開所時から数年は通年営業を通しました。

生活は志張温泉元湯さん(旧 元湯さん)への道は除雪がされていたので、上のその旧道に車を置き、毎日雪の階段を作り25m前後の崖を上り下りしていました。
この階段作りが2人の毎日の一番の大仕事でもありました。
お客様にもこの雪の階段を上り下りして貰いましたが、最初の恐怖がやみつきに変わったのか?以後通い続けてくれた人が多かったのです。

たまに予期せぬ大きな物を運ばねばならなくなった時は大騒動です。 古くなった洗濯機が突然壊れて動かなくなり、買い換えて運び下ろした事がありました。
幸いその時は手が足りましたが、大の男4人でも汗ビッショリ、ソロリソロリと無事下ろし終えた時には本当にほっとしました。

ある日夫がバス停までの杉林の中、少しでも早く車を玄関前まで入れたくて、毎日除雪をして行こうとスコップでまず穴を掘ってみました。やっと地面に着きその中に試しに立ってみたら、
頭を越えていたので馬鹿らしくなり作業は中止してしまいました。

春近く雪もかなり沈んできた頃又同じ作業開始、毎日懸命に掘り続けていたら、やり終える前に雪はあっさりときれいに解けてしまいました。今迄の労力を返せ~!(夫の声)
まだここでの冬の生活がどんな物か見当もつかず、仕事への力の配分を何も判っていなかった頃の話です。

3年目の冬、突然予告もなしに大きな除雪車が轟音轟かせて入ってきました。まるでサンダーバードが助けに来てくれたように嬉しかったものです。 
そして今、うちにはエッチャ号という心強い除雪車まであります。何もかも便利に楽になってしまいましたが、今は全てに慣れっこになり、有難みも、また別の楽しかった事も忘れそうになってしまいます。大切な事が沢山詰まっていた妙に懐かしい昔の小舎、冬の生活。

それでもここに居る限り、雪の問題は避けて通れません。年を重ねる毎にその問題は重くのしかかってくるようです。



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